最低最悪の一審判決…宮城県名取市「閖上津波訴訟」の現場から

ある震災遺族の9年間【第2回】
西岡 研介 プロフィール

「こんな判決を後世に残すわけにはいかない」

仙台地裁の判決は、行政の「公助」責任が及ぶ範囲を狭くとらえる一方で、被災者に課せられた「自助」責任が及ぶ範囲を広く解釈したもので、遺族側からすれば、第三者検証委員会の検証結果よりはるかに後退した内容だった。

判決後の記者会見で、遺族側の小野寺義象・弁護団長は「(東日本大震災が発生する以前の)防災対策を怠ってきた名取市全体の責任を問う立証活動をしてきたが、判決はそれらについて何ら言及せず、防災行政無線の故障と(雅人ちゃんら家族4人の)死亡との因果関係を立証するのにも高いハードルを課した。原告の思いを踏みにじる最低最悪の判決だ」と憤った。

一方、さおりさんは「亡くした大切な家族の命を、せめて将来の防災の教訓にしてほしいという気持ちで、これまで訴訟を続けてきました。仮に(訴えが)棄却されても、今後の命を守る教訓が何か一つでも判決の中にあればと願っていましたが、何もありませんでした。(判決には)絶望感しかありません」と声を詰まらせた。

一審の判決言渡し後、仙台地裁前に集まった報道陣に対し、「不当判決」と書かれた幕を掲げる遺族側弁護団(2018年3月30日、筆者撮影)

そして判決から10日後の18年4月9日、竹澤さん夫妻ら4人の震災遺族は、仙台高裁に控訴した。しかしながら、「何もない」、「絶望しかない」、そして遺族として到底、承服し難い内容となった一審判決の破棄を求め、上級審で再び争うという選択に、迷いがないわけではなかった。さおりさんが語る。

「判決の日、『原告の請求をいずれも棄却する』という言葉(主文)を聞いても、判決理由の中には、何か、『今後の命』を守るための言葉があるんじゃないかと思い、耳を傾けていました。たとえば、『名取市は今後の防災のために、この震災による犠牲者と、遺族に真摯に向き合わなければならない』というような言葉が、裁判長の口から出されることを願っていたんです。

けれども、そのような言葉は、裁判長の口からも、判決の中にも出てくることは無く、名取市側の主張を全面的に、むしろ、それ以上に認めた、(第三者検証委員会の)検証報告書よりもはるかに“浅い”内容の判決でした。

私たちが(提訴から)この3年半、訴え続けてきた――『今後の命』を守るために、『あの日、名取市は何をしていたのか』という全容解明をして欲しい――という思いに、裁判官たちは果たして、心から耳を傾けてくれていたのでしょうか。『司法の限界』という言葉をよく聞きますが、『限界』などではなく、単に行政に阿っているだけなんじゃないかと思ってしまうほどの判決で、行政だけでなく、司法にも絶望しました」

さおりさんの言葉を引き取り、守雅さんが続ける。

 

「判決を聞いた直後は、もうこれ以上、裁判所に期待しても何も変わらないだろう、名取市に対しても、仙台地裁に対しても絶望感を抱えたまま、(控訴して)裁判を続けるのはもう耐えられない、と思いました。

けれども、それはあくまで、生き残った私たち遺族の『絶望感』や『悲しみ』なんですよね。

7年前のあの日(3月11日)、何がなんだか分からないままに津波に巻き込まれ、苦しい思いをして死んでいった家族の辛さ、未来を奪われた雅人の無念さを思うと、ここで諦めるわけにはいかない。ここで諦めたら、名取市は『自分たちが正しかった』と思うだけで、今後の防災(体制の見直しや、強化など)について何もしない。また裁判所にも、(自分たちが)こんな判決で納得したと思われる。

今後の防災、命に関わる大切な判決が、こんな“浅い”内容でいいはずがなく、この判決を確定させるわけにはいかないと、控訴する方向で、夫婦で何日も話し合いました」