最低最悪の一審判決…宮城県名取市「閖上津波訴訟」の現場から

ある震災遺族の9年間【第2回】
西岡 研介 プロフィール

また名取市が地域防災計画で定めていたにもかかわらず、広報車による避難呼びかけをしなかった点については、〈本件災対(災害対策)本部において、広報車を出して広報を行うかどうかの協議は行われず、被告においては広報車を出動させなかったもので、佐々木(前市長)は、名取市広報車伝達による津波予報の伝達という権限を行使しなかったことが認められる〉としながらも、大津波警報が出てから予想到達時刻までに時間的余裕が無かったことを考慮に入れ、こう判断した。

〈 市庁舎から閖上地区までは車で約15分を要するのであるから、予想される津波到達時刻までに閖上地区に広報車が到着することは不可能であり、仮に広報車を向かわせた場合、広報車が津波に巻き込まれるおそれもあったと認められるのであるから、佐々木が名取市広報車伝達を行わなかったことには合理的な理由があると認められ、権限の不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠く場合には当たらない 〉

さらに、一審の意見陳述で、竹澤さん夫妻は再三にわたって「防災行政無線が故障していたとしても、広報車による避難呼びかけができなかったとしても、その他の何らかの手段で、名取市が閖上地区の住民に津波の襲来を伝え、避難を呼びかけてくれれば、家族は実家近くの閖上公民館に避難するなど、早期の避難行動が取れたはず」と主張していた。

しかし、地裁は「防災行政無線や広報車による避難指示がなくても、(閖上地区の住民は)自ら避難判断はできた」とする名取市側の主張を大筋で受け入れた上で、こう結論付けたのだ。

〈 亡喜佐雄(さおりさんの実父)らが、仮に本件防災無線からの避難指示放送を聞くことができ、公民館に避難をしていたとしても、(中略)閖上中学校への二次避難が行われた後も公民館に留まっていたかどうか、本件津波が到達した際には公民館の2階に避難し得たかどうか、又は本件津波が到達する前に閖上中学校に避難を完了していたかどうかは不明であるといわざるを得ず、本件防災無線からの避難指示放送がなされていたとすれば、亡喜佐雄ら(雅人ちゃんら家族)が本件津波に巻き込まれることを避けられた高度の蓋然性(その事象が実際に起こるか否かの確実性の度合)が証明されたとはいえない。

また、原告らは、亡すみ子(さおりさんの実母)及び亡ろく(さおりさんの祖母)には昭和チリ津波の経験があり、亡すみ子は、娘である原告さおりの孫である亡雅人を預かった際には、非常時に必ず避難行動を取っていたと主張するが、そうであったとしても、亡喜佐雄らが、本件津波の到来時に、公民館の2階か閖上中学校に避難することができたと直ちに認めることはできない。

また、本件防災無線の避難指示放送を聞いたことで、仮に亡喜佐雄らの避難行動の開始が早まったとしても、同様に、そのことのみをもって、亡喜佐雄らが津波に巻き込まれない場所に避難できた蓋然性が高いとも認めることはできない 〉

第三者検証委員会も指摘していた通り、閖上公民館では発災後、閖上中学校への再避難の呼びかけが行われ、その再避難の途中で津波に巻き込まれ、多くの人々が命を落としたとされる。その一方で、公民館に留まり、2階に避難した84人の住民の命は助かった。

 

判決はこれらの事実を踏まえた上で、「仮に防災行政無線による避難指示ができていたとしても、さおりさんの家族がその後、どういう避難行動をとっていたか分からないし、津波による被災を避けられたとも証明されていない」とし、ゆえに「防災行政無線の故障と家族の死亡との間に因果関係があるとは認められない」と言っているのだ。つまりは遺族側の主張をことごとく退けたわけである。