最低最悪の一審判決…宮城県名取市「閖上津波訴訟」の現場から

ある震災遺族の9年間【第2回】
東日本大震災発生から1ヵ月後の名取市閖上の様子(2011年4月18日、筆者撮影)
東日本大震災の発生から丸9年を迎えた翌日の2020年3月12日、仙台高等裁判所で、「被災地最後の津波訴訟」といわれた「閖上津波訴訟」の和解が成立した。和解金は無く、訴訟費用も双方の負担となった。この「和解」に際し、改めて震災遺族の9年の足跡を振り返ってみたい――。

⇒【第1回】「鳴らなかった防災行政無線」から続く

名取市側の頑なな姿勢

東日本大震災が発生してから3年。津波の犠牲者遺族の「思い」に真摯に向き合おうとせず、震災前の防災体制や、発災時の初動についての「検証」からも目を背け続けた結果、遺族から法廷で「公助責任」を問われることになった名取市――。

しかし、訴訟という事態にまで発展してもなお、同市の姿勢は変わらなかった。

14年11月10日に仙台地裁で開かれた第1回口頭弁論後の会見で、被告の名取市は、竹澤守雅さん・さおりさん夫妻ら震災遺族4人の訴えに対し、「原告(遺族)に対してこれまでも、第三者検証委員会の結果等を踏まえて、(名取市には法的)責任はないと回答している」(被告代理人弁護士)と、請求の棄却を求めて争う姿勢を表明。

15年10月21日に開かれた第6回口頭弁論では、遺族側の「真実を明らかにし、今後の防災にいかしたいという、原告の思いに真摯に応える気持ちがありますか」との問いに対し、「答える必要はない」(同前)と突き放したのだ。

そして17年10月には、16日と27日の2日にわたって、原告、被告双方の関係者の証人尋問が行われた。16日の証人尋問では、震災発生当時の名取市の総務部長や安全課の係長らとともに、発災当時の「災害対策本部長」だった佐々木一十郎・前市長も証言に立った。

「阪神・淡路大震災以来、(中略)災害に対する心構えとして、まずは自分の命は自分で守る、そのことを徹底すること。それと、隣近所の助け合い、阪神・淡路でも大きく地域に貢献したわけでありますが、このような共助、これを皆、心がけていただこうと」

「自分の命は自分で守る、これを災害(対策)の原則にしようということと、地域の中で助け合いをしようと、このような意味から、自助、共助、これについての考え方とそれに対する組織の支援、(中略)それらを名取市として補助を出し、進めてきたところであります」

「昨今の報道等によると、何でも行政の責任ということを問われがちになっております。もちろん、それだけ期待を込めてということもあろうかと思いますが、自然災害については、基本は自分の命は自分で守るということであります。

災害になったら誰も助けてくれない、自分が逃げられるように情報を集めること、自分の判断で避難すること、そういったことを市民の方々に認識していただき、隣同士の助け合い、そういった組織力、これを強化していく必要があろうかと思います」
【( )内は筆者補足。以下同】

尋問中、再三にわたって「自分の命は自分で守る」というフレーズを口にし、「自助、共助」について自説を展開する佐々木・前市長の姿に、傍聴席にいた私は、強烈な違和感を覚えた。

 

大規模災害の発生時は、地方自治体などの行政機関も被災している可能性が高く、特に発生から72時間は、行政などの公的機関が被災者を救済する「公助」が望めないことから、被災者が自らの命を守る「自助」、被災者同士が助け合う「共助」が求められることは論を俟たない。

が、それは、あくまで市民一人ひとりが、災害に備えた“心構え”として持つべきものであって、「公助」の最高責任者である自治体の長自らが、公の場で、堂々と述べる類いのものではない。