フリー編集者の上松容子さんは、両親が30代のときに生まれたひとりっ子。東京で生まれ育ったが、両親は仲良く元気で、両親の兄妹も都内にいた。しかし父ががんで急逝すると、「ていねいな暮らし」をしてきた母・登志子が一気に認知症を発症したのだ。

上松さんは、義母と同居しており、実母との同居は頑なに拒まれていた。そこで相談したのが、しっかり者として町内でも有名な、母の実家にひとりで暮らす母の実姉・恵子だった。母と暮らすことを喜んで引き受けてくれ、ほっとしたのも束の間、実はその実姉も認知症の疑いがあることが発覚。家はネズミが走り回るゴミ屋敷と化していた。介護サービスを頼んだり掃除をしようとしても、拒絶され、掃除した直後にゴミが家に戻される状況にあった。

そこから3年、伯母が怪我をしたことから、物事は動く。「私たちだけでは生きられない」ということを、誇り高い伯母が認めたのだ。これを機に実家を片付けて処分し、そのお金を子どもがおらず、貯金もまったくない伯母の新生活への元手にしなければならないと親戚で決意する――。

これは、名前のみを変更したドキュメント連載である。第9回となる今回は、数年かけて実現させた「ゴミ屋敷の脱出」のその後をどう進めていくのかという迷いをお伝えする。

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「家に帰りたい」

2007年の11月、伯母・恵子は腰椎圧迫骨折に見舞われ、怪我の功名でようやくゴミ屋敷から出ることができた。 

地域包括支援センター相談員のAさんが見つけてくれた落ち着き先は、区内の救急指定病院だった。中規模で、お年寄りもたくさん入院している。Aさんがあらかじめ説明したとおり、伯母が入ったのは個室だった。きれいで明るくて快適な部屋だ。差額ベッド代がかかるので、当然費用がかさむ。このときの入院費は、伯母の義妹である晴子が受け持った。 

快適な部屋なので、伯母は「ずっとここがいいわ」と言うのだけれど、経済的にそれは許されない。「おばちゃん、ここは高いから、来週からは相部屋よ」と説明すると「そうかあ、ここがいいのにねえ」とため息をつく。面会のたびにそんなやり取りをした。
2週目には個室から出て相部屋に移った。入院当初は腰の痛みで仕方なく安静にしていたが、しばらくすると、もうその状態に飽きてしまった。会いに行くと、自由の利く自宅に戻りたいと何度もせがむ。 

「そのうちね」と言って納得するときもあったが、あるとき、ひどく食い下がられて、普通の大人にするような返答をしてしまった。 

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「あのね、おばちゃん。これからどうするか決まっていないけれど、家には帰れない。病院に入院するのにもお金がかかるし、これからおばちゃんの世話をしてもらうのにもやっぱりお金がかかる。おばちゃんの年金では足りないのね。だから、あの家を売らなきゃいけないと思う。みんな、おばちゃんたちに何かあったらいやなんだ。区役所のAさんもケアマネさんはお仕事でおばちゃんのお世話をしてるから、別の意味で困ることになるの。区役所の用もやってたから、わかるよね?」 

伯母はじっと聞いて考え込み、「うん、わかった」と答えた。 
後悔とも少し違うのだが、自分の言葉を反芻して、未だに胸が痛む。姪からこんな言葉をかけられて、悲しかっただろう。家のことを持ち出されても、知らんぷりしておけばよかったのかもしれない。でも、いくら認知症を患っていても相手は一人前の人間なのだ。誤魔化し続けていいのか、という気持ちも働いた。 

伯母の今後を思うと、そろそろ、本格的に不動産の売却を進める時期だった。伯母自身が最終判断できるうちに、話を進めたほうがよい。かわいそうだけれど、きちんと状況をわかってほしかった。