朝日新聞の「社主」が死去…歴代社長も恐れた「深窓の令嬢」の素顔

「最後の社主」の歩み
現代ビジネス編集部 プロフィール

〈美知子社主は朝起きると、ベッドから車椅子に移り、三〇分以上かけて歯磨きをされた。八六歳という年齢にもかかわらず、「歯が全部そろい、虫歯が一本もない」のが自慢だった。歯磨きの後は洗顔し、身支度を整えて隣室の食堂に移動する。

食堂にはご両親と祖父母の特大の遺影が掲げられており、遺影のそれぞれに向かって「お祖父様、おはようございます」「お祖母様、おはようございます」「お父様、おはようございます」「お母様、おはようございます」と大きな声で挨拶し、一日が始まった。付き添いの女性たちも、美知子社主と一緒に唱和し、写真に向かってお辞儀するのである〉

世界の「一流」たちとの交流

美知子社主は自ら作曲も学び、「大阪国際フェスティバル」を実質的に主宰して、カラヤン、ハイフェッツ、ロストロポーヴィチ、ストラヴィンスキー、メニューイン、アルゲリッチら世界中の超一流音楽家と親しく交流した。

ドイツ・バイロイトで行われる「ワーグナーフェスティバル」の引っ越し公演を世界ではじめて実現し、世界中の音楽ファンを驚嘆させた。

 

1948年に結婚したが2年後に離縁し、子どもはなかった。もし子どもがいたら、朝日株と「社主の座」が受け継がれていたはずだ。しかし、86歳になった2008年、美知子氏は保有する株の3分の2を手放す決断をし、朝日経営陣の「心配の種」はなくなった。そして美知子社主の死とともに、「朝日新聞社主」の呼称も途絶えることになった。