朝日新聞の「社主」が死去…歴代社長も恐れた「深窓の令嬢」の素顔

「最後の社主」の歩み
現代ビジネス編集部 プロフィール

本物の「パトロネーゼ」

大阪社会部で第一線の事件記者として活躍してきた樋田氏が、2007年に秘書役になったとき、同僚からは「わからず屋のおばあさんのお世話、本当にご苦労様」と同情されたという。

しかし、いつしか樋田氏は、美知子社主の人柄に惹きつけられるようになる。美知子社主のほうも樋田氏に心を許すようになり、「あなた、私のこと本に書いてね」と伝えていた。

樋田氏はその遺志を汲み、美知子社主の人生と、朝日経営陣と村山家の長年にわたる緊張関係を著書『最後の社主 朝日新聞が秘封した御影の令嬢へのレクイエム』(講談社刊)にまとめた。

そこに描き出されるのは、華やかでありながらどこか孤独な一人の女性の生きざまであり、日本のクラシック音楽の発展に尽くした「パトロネーゼ」の姿である。

 

その一部を引用する。

〈美知子社主の日々の暮らしを、すぐそばで見守るようになって、感心させられたこともあった。

毎日、朝日新聞の朝刊、夕刊が届くたび、一階応接間にある村山龍平翁など先祖の遺影が並ぶ前に作られた「祭壇」に供えられる。一時間ほどの「お供え」が終わった後、「書生」と呼ばれていた学生アルバイトが二階に新聞を届ける。美知子社主は「ご苦労様」と言って、おもむろに新聞に目を通すのだった。

「まず、お祖父様、お祖母様、お父様、お母様に新聞を読んでもらうのよ。私は、その後」

社主はそう話していた。朝日新聞社の創業家の当主の務めと心得ていたのだと思う。学生アルバイトは二人ずつ組んで、夕方から翌朝まで台所脇の部屋に泊まり込んでいた。夜間に懐中電灯を携えて広い邸内を巡回するのも学生アルバイトの仕事になっていた〉