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新型コロナ危機、「緊急事態宣言」という「劇薬」の是非

宣言に必要な条件とはなにか

2020年3月14日、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正法が施行された。これにより、今回の新型コロナウイルスでも、新型インフルエンザと同様に、いわゆる非常事態(emergency)を設定する「緊急事態宣言」ができることとなっている。

この特措法改正に伴う14日夕方の安倍晋三首相の記者会見では、「現時点で緊急事態を宣言する状況ではない」と説明されたが、いまもなお国内感染者は増え続けており、さらには欧米で急速に増大した感染が、中国にかわる第二波として我が国に入り込んでくる可能性も指摘されていて、事態はなおも予断を許さない。

だがこの用意された緊急事態宣言については、「劇薬」として、多くの識者がその実施に警戒感を示している。

他方でまた、私たちには、どこかでこの新型コロナウイルスについて、事態を乗り越えるのには宣言こそが不可欠なのだと思い込んでいるふしもある。この経験が今後の憲法改正の布石になるのだという議論さえあるようだ。

緊急事態宣言はいったいなぜ必要なのか。宣言を布告するにあたって、必要な条件とはなにか。前編に引き続き考えてみたい。

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緊急事態宣言が必要な理由

今回、この緊急事態宣言をめぐって、それが人々の自由を制限し、民主主義を否定しうるものであることが問題になっている。個人の権利を侵害するので慎重に適用されねばならないと。

もちろんその通りなのだが、こうした論じ方では緊急事態宣言の意義に迫れない。

なぜなら、国家や社会全体を守るため、個人の権利や利益を制限し、場合によってはそのために人が命を落とすことさえやむをえないというのが、緊急事態宣言の本質だからだ。

例えば、肺炎による死者1万人の発生を5000人に抑えられるのなら、その手段による自殺者(例えば経営難などで)が十数名生じたとしても社会としてやむを得ないというわけだ。

緊急事態の宣言が必要なのは、そうしなければ社会そのものが崩壊し、大量死や経済崩壊が、さらには国家の危機さえ生じる可能性があるからである。

必要とあらば緊急事態はすみやかに宣言されねばならない。

慎重になりすぎて実施されなかったということはあってはならない。

国家が崩壊してしまってから、緊急事態を宣言しても手遅れである。崩壊の手前で、崩壊を回避するために宣言はなされねばならない。

それゆえ、緊急事態宣言はすべきかどうかではなく、その必要性と不必要性の判断の精確さこそが大切になる。

緊急事態宣言による私権の制限を、何をどこまで(いつまで)、どういうふうに、何を根拠にして行うのか、その論理の形成と実施プロセスこそが、こと細かく検討されなければならないのである。