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怪物・江川卓を「もうひとりの天才」千葉成東・鈴木はどう見たのか

同時代に生まれた「不運と幸運」

どの世界にも、才能と時代に選ばれる強運をあわせ持った「主人公」がいる。そして、光るものはありながらも、彼らの陰に隠れてしまう人がいる。関東屈指の速球派と言われたこの男も、後者だった。

もうひとりの天才肌

いつの時代にも、「運に恵まれた人」というのは存在する。生まれつきの才能を持ち、その場にいる他の誰よりも目立ったオーラを放つ。

'70年代の高校球界にとって、それは間違いなく作新学院(栃木)のエース・江川卓(64歳)だった。150km超と言われた剛球を武器に、春のセンバツの大会最多奪三振記録(60個)を始め数々の記録を打ち立て、「怪物フィーバー」を巻き起こした。

だが、時を同じくして、関東には江川と並び称される天才肌の速球派がもうひとり存在した。千葉県立成東高校の右腕・鈴木孝政(65歳)だ。

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のちに中日に入団する鈴木は、ハンドボール投げで50mを軽く超える強靭な肩と、柔軟な手首から放たれる直球で、関東中に名を轟かせていた。

「成東時代の鈴木のボールは江川よりも速かった」と断言する人がいる。千葉屈指の強豪・銚子商業で、鈴木と同学年のエースだった根本隆だ。

「当時、その名が県下に知れ渡っていた鈴木と初めて対戦したのは、お互いが3年生になった'72年の春の県大会でした」

 

この試合、銚子商ナインのバットは、鈴木のストレートにかすりもしなかったという。

「鈴木の球は、マウンドとホームの中間から一気に伸びてくる。快速球というイメージです。スピードがあるぶん、制球はアバウト。ストライクゾーンに入れば打てないだろうという自信があったんでしょう。体感ですが、150kmは出ていたと思います」(根本)

140kmを投げれば速球派と言われた時代だが、鈴木は中日に入団して3年目、非公式ながら155kmを記録している。この根本の感覚は、そう間違ってはいないはずだ。