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「下駄をならして奴がくる〜♩」かまやつひろし『我が良き友よ』秘話

Char×泉谷しげる×亀渕昭信

古き良き時代への郷愁を誘うメロディーに、誰しも共感する歌詞。なぜ拓郎はバンカラとは程遠い彼に、この曲を作ったのか。長年の謎が解き明かされる。

我が良き友よ
75年に発売されたかまやつひろしのシングル。前年にシングル『シンシア』を連名で発表した吉田拓郎から提供を受け、大ヒットした。天童よしみや南こうせつなど様々なアーティストがこの曲をカバーしている

本人のイメージと正反対

Char かまやつさんが亡くなって、もう3年が経ちます。最後に会ったのは彼の誕生日で、俺とユーミンと森山良子さんでお祝いしました。場所は、お気に入りのレストランだった西麻布の「キャンティ」。体調は悪かったはずだけど、立ち居振る舞いなど、相変わらず洒落ていました。

泉谷 あんなスマートな人はいないよ。トレードマークのニット帽はエルメス、車は小型車のMINIだったからね。

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亀渕 世間的にかまやつさんと言えば、吉田拓郎さんが作詞・作曲した『我が良き友よ』('75年)が有名です。90万枚も売れました。その半年ほど前に、『シンシア』という曲で拓郎さんとデュエットしたら意気投合して、かまやつさん自ら依頼したんです。

でも、『我が良き友よ』のイメージと本人はまったく違いますよ。下駄を鳴らすような人じゃない(笑)。しかも、「女郎屋通いを自慢する」なんて歌っているから驚きました。

泉谷 俺が最初に意識したのはザ・スパイダースだから'64年頃です。あのバンドは堺正章の歌、井上堯之のギター、田邊昭知のドラムがメインで、かまやつさんは目立たなかった。

ただ、プロの間では彼の作曲能力が注目されていたんですよ。

 

Char GSの中では珍しく、スパイダースは自分たちで曲を書いていました。特にかまやつさんが書く曲は、通好みで格好よかった。『あの時君は若かった』('68年)のコード進行なんか、歌謡曲としてはありえないほどテクニカルでした。

亀渕 スパイダースはJポップの元祖だと思う。ビジネスの問題もあって、タイガースやテンプターズは曲をプロに提供してもらっていた。そんな中で曲を作れたのは、田邊さんの交渉力と、かまやつさんのセンスが良かったからでしょう。