バブル狂乱期の銀行と大蔵省「ヤバすぎる関係」をいま全て明かす!

私が見た接待、蜜月、不良債権…
小野 一起 プロフィール

濡れ手にあわのぼろもうけ

高橋 80年代のバブルの時代は、やはり酷かった。午後7時ごろになると大蔵省と文部省の間の坂道に、金融機関からの接待のためのお迎えのタクシーがずらっと並んでいました。大蔵官僚は、みな自分を迎えにきたタクシーを探すのに苦労していました(苦笑)。

〔photo〕iStock

小野 銀行や証券会社の利益も半端じゃありませんでした。フォーチュンの世界の企業収益ランキングの上位に日本の金融機関が、バンバン入っていた時代でした。

高橋 バンバンですよ。あれだけ儲けが出るのはまずいだろうと私は内心、感じでいました。証券局の官僚への接待も半端じゃなかった。映画の『バブルへGO‼』の世界とまったく一緒です。クルージングでシャンパンを開けて、どんちゃん騒ぎ。大蔵省の高官まで、そこにいました。ビンゴパーティーがあって必ず、びっくりするような豪華な景品が当たっちゃう。そういう凄い世界でしたね。どことは言いませんが、そのクルージングの接待をしていた証券会社、すぐつぶれましたけどね。

小野 要は証券取引の手数料が規制されていたから証券会社は濡れ手にあわのぼろもうけだったわけですね。

それから1980年代には、長期信用銀行が銀行システムの中で大きな存在感がありました。日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の3行です。当時は大変な名門銀行でした。彼らのメインの資金調達手段が、5年物の利付金融債でした。今は、長信銀も利付金融債もなくなってしまいました。

 

高橋 私は証券局の後に、理財局の国債課に異動しました。その時、国債の金利がでたらめなので驚きました。私は、国債の発行コストを最小にして資金調達するという原則を大事にすべきだと考えました。これは国民の利益の観点から考えれば当然です。

そこで、5年物の国債を出していないことで、調達コストが高くなっていることがすぐに計算できました。高い金利で、政府が資金調達すれば国民が損したことになりますから、これはまずい。そこで、理崎局の幹部に5年物国債を発行すべきだと進言したんです。そうしたら、当時の理財局の幹部が、ものすごい剣幕で怒り出した。

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