# ジェンダー # 恋愛

男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか

恋愛の歴史から考える
田中 亜以子 プロフィール

そのなかで、女性にとっての自己実現は恋愛結婚し、母になることであり、そのことによって実現する自分こそが、「本当の自分」であるという論理がつくられていった。これは、母・主婦役割を離れた「ありのままの自分」というものが、女性には実質的に、ほとんど許されなくなっていったことを意味する。

さて、「ありのままの俺を愛してほしい」という願望をめぐるジェンダー構造は、現在どの程度、残存しているだろうか。専業主婦という生き方はマジョリティでなくなったとはいえ、未だに家庭責任の大半を女性が担うことが期待されている。がんばる男性とそれを支える女性という理念型も未だに存在し、それゆえ恋愛においても女性が男性の「ありのまま」を受けとめるという定式が未だに見受けられる。

 

だとすれば、「このままの俺を愛してほしい」という願望の歴史的構築性をふまえた上で、その男性中心性に想いを馳せる必要があるのではないだろうか。性別役割と密接に結びついた恋愛観の中心化が、同性間の恋愛の抑圧と表裏一体のものであることも忘れてはならない。恋愛という個人的な経験にも、労働とケアを配分する現行のシステムのあり方が、色濃く反映されているのである。

また、近年においては、恋愛に限らず、「ありのままの自分」や「本当の自分」、「自分らしさ」といった言葉が肯定的に使われているのを、よく目にする。それらの言葉によって、既存の男らしさ/女らしさを超越しようとする傾向も見られる。しかし、そのような場合においても、かつて女性の「本当の自分」とは「母」であるという価値観がつくられていったように、「本当の自分」の中身は、いくらでも一定の方向へ誘導され得ることに、自覚的である必要があるだろう。

あるいは、男性の「ありのまま」が私的関係においてのみ許されたように、特定の領域での「ありのままの自分」の解放が、他の領域での抑圧とセットになっている可能性にも、私たちは注意深くなくてはならない。