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男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか

恋愛の歴史から考える
田中 亜以子 プロフィール

もっとも、夫婦をこのような存在とみなす見方は、当時にあってかなり斬新なものであり、現実を反映していたわけではない。むしろ、未だ日本には存在しない夫婦関係が憧憬されたのだといった方が正確である。というのも、『女学雑誌』にも書かれているように、多くの家族において、妻/嫁はまさしく下女のように扱われており、夫婦は友だちとはほど遠い状態にあったからである。

下女ではなく、本当の友達としての妻。そのような妻を求める心性は、結婚の意味を根底から問い直す。財産や家の格ではなく、容貌や一時の気の迷いでもなく、本当にその人自身を愛しているのかということが、結婚において問われるようになっていったのである。

〔PHOTO〕Gettyimages

「本当の自分」と「公/私」の分離

このように「本当の自分」の領域が、夫婦関係に求められていったことは、この時期に男は仕事/女は家庭という性別役割分業観が形成されていったことと、無関係ではない。男は仕事/女は家庭という役割分業は、仕事の空間と家庭生活の空間を分離し、前者に男性を、後者に女性を割り振るものである。

現在を生きる私たちにとって、仕事と家庭が分離され、家庭領域における責任は女性(主婦)が担うというのは、自明のことかもしれない。しかし、かつては家族総出で家業に従事することの方が当たり前だったのであり、そのような時代にあっては空間的にも作業の内容という観点からも、仕事と家庭、公と私の分離は、曖昧であった。

公私が分離されていったということはまた、仕事とプライベートの人間関係が分離されていったということであり、公と私でそれぞれ別の顔をもつことが期待されるようになっていったことを意味する。

 

もっというと、仕事においては任務に忠実に、滅私奉公し、そのかわり、家庭においては「ありのままの自分」であることが許される、という理念型がつくられていったのである。仕事では自分を殺さざるを得ないが、家庭では、天使のような女性が自分を受けとめてくれる、という理念である。もちろん理念に過ぎないのだが。