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男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか

恋愛の歴史から考える
田中 亜以子 プロフィール

「本当の自分」へのこだわり

「ありのままの自分」を愛してほしいと願うとき、私たちは、外向けの取り繕った自分ではなく、その内側に存在する「本当の自分」を見てほしいと願っている。「本当の自分」などそもそも存在するのかどうかはさておき、「本当の自分」なるものへのこだわりが生じたのは、明治期のことである。職業選択の自由、結婚の自由、移動の自由が可能となった時代において、はじめて「本当の自分」とは何者なのかという「自分探し」がはじまったのである。

親の職業を継ぐことが当然であり、生まれ落ちた共同体のなかの人間関係が、幼少から老年まで続く生活において、「自分探し」は不要であろう。「自分探し」は自分の生を自分で切り開くことのできる時代の特権であり、とりわけ家業を失った士族出身の青年たちにとっては、否応なく向き合わざるを得ない課題でもあった。

さて、「本当の自分」なるものへのこだわりは、「本当の自分」を理解してくれる「本当の友達」を求める心性を生みだしていった。長年お互いを知っていること、絶対に裏切らないことなど、良き友の条件はいくつかあるだろう。明治期において、そこに、仮面の下の「ありのまま」を理解しあえるという項目が加わったのである。

それは、長幼の序、男女の別といった「外面的」な地位に基づく秩序を重んじる、従来の儒教的価値観に対立させるかたちで、「本当の自分」という「内面的」な本質によってつながる関係への憧憬が生じたことを意味する。社会的地位に規定された関係ではなく、それを取っ払ってなおつながる絆への憧れである。

 

では、そのような関係性は、どこで、どのように実現できるとされたのだろうか。実は、ひとつの有力候補とされたのが、夫婦である。たとえば、私たちのもつ夫婦観や家庭観を形成するうえで、重要な役割を果たしたとされる『女学雑誌』という雑誌には、明治20年代に、夫婦を「真友」とする見方が提示されている。

「女学雑誌」〔PHOTO〕WikimediaCommons

主筆であった巌本善治は、夫婦は「唯一(たゞひと)つの真の友」あり、妻は「朋友中の朋友」あるいは「終身の友」であると述べている。社会に存在するさまざまな上下関係、利害関係、競争関係を超えて、夫婦だけは一心同体になれるのであり、むしろそのような相手とこそ夫婦関係を結ぶべきとされたのである。