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男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか

恋愛の歴史から考える

女性誌に溢れる「愛され」のテクニック

「ありのままの自分」を受けとめ、愛してほしい。深く理解し、よりそい、支えてほしい。そうしてくれる誰かと出会い、結ばれたい。多くの人が、このような願望を、心のどこかにもっているのではないだろうか。「ありのままの自分」が愛されるという幻想には、私たちを強くひきつける魅力がある。

成績は良い方がよい、稼ぎは多い方がよい、コミュ力は高い方がよい、見た目はイケてる方がよいと、なにごとも優劣、勝敗で測る価値観が跋扈する世の中である。そのなかにあって、「ありのままの自分」が愛されるという幻想は、私たちに夢を見せてくれるのである。「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」なのだ、と。

だが、現実においては、そう簡単にありのままを受け止めてくれる聖人のような恋人は現れない。実際には、誰かに選ばれるための努力が必要なのである。そう、愛されるための努力が。

この現実は、腹立たしいものだろうか。もしあなたがそう感じるとしたら、もしかしたら「男性的」価値観を内面化しているといえるかもしれない。なぜなら、異性愛を念頭においたとき、男性は、女性に比して、愛されるための努力をしたがらないという傾向が、指摘されているからである。

もちろん男女ともに、個人差も世代差も大きい。しかし、たとえば女性向け雑誌と男性向け雑誌を比べてみるならば、女性誌における愛されテクの豊富さは、一目瞭然である。愛されファッション・愛されメイクにはじまり、愛されるための会話の運び方、ベッドでのふるまい方、愛されるための料理のレシピ、などなど。

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こうした女性に求められがちなテクニックについて、なにか小賢しい偽りで、「真心」が伴っていないという悪印象を抱く人もいるかもしれない。実際、男性に好かれようとするテクが丸見えの「ぶりっこ」は、侮蔑の対象とされる。「ありのまま」の私とあなたという幻想に逆行するテクニックは、不誠実なものとして否定されることが多いのである。