講談社の戦後をつくった野間省一が満洲で見た「巨大な夢とその崩壊」

大衆は神である(87)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業家・野間家が歩んできた激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」。

伝説のノンフィクション作家・本田靖春、そして講談社社長・野間省一。激動の戦後民主主義を生きた彼らの「原体験」とは――。

終章 戦後民主主義と講談社ジャーナリズム(5)

思い当たる節々

なぜ、この連載を了えようとするにあたって、本田靖春と講談社について紙幅を費やしているのか。それは講談社と野間家をめぐる物語の幕を閉じるには、やはり「戦後」という時代を振り返らねばならないと思うからである。

「戦後」といっても遠い昔のことだから、今の若い人たちにはぴんと来ないだろう。しかし、1945年の敗戦から6年後に生まれた私には、「戦後」のにおいが少しだけわかる。それは、貧しく、雑駁(ざっぱく)ではあったけれども、自由への希望と熱気をはらんだ時代だった。

本田靖春は自らの著作集(『本田靖春集』全5巻、2001〜2002年、旬報社刊)の宣伝チラシに次のような一文を寄せている。

〈私は中学一年のとき、外地で敗戦を迎えた。引き揚げてきた私を待ち受けていたのは、民主主義教育である。

ご多分にもれず軍国少年だった私だが、年齢的にはまだ軍国主義に染め上がっておらず、初めのうちこそ戸惑いはあったものの、さしたる抵抗感もなく民主主義に馴染んでいく。

人間として眼を見開きはじめた時期に、民主主義と出合えた意義は大きい。かつての日本がいかに間違った道を歩んだか。植民者二世として生まれ育った私には、過去の日常の中に、思い当たる節々をたくさん持っていた。(略)

いま私は不治の病を三つばかり抱えている。消えてしまった戦後民主主義のあとを追って、間もなく逝くであろう。この作品集から、遠くなった「戦後」という時代のにおいを、いささかでも嗅ぎ取っていただけたらさいわいである。

二〇〇一年十月                 本田靖春〉

 

本田のいう「過去の日常の中に、思い当たる節々」とは、たとえば次のようなことである。