もはや神頼みしかない? 日本人は「感染症」にどう対処してきたのか

感染症の民俗学
畑中 章宏 プロフィール

「災異改元」やむなし!?

流行病の猛威を抑えるため、日本の国家がたびたびおこなった対処法は、元号を改めることだった。

天然痘の流行によるものだけで、天暦(947)、長徳(995)、永久(1113)、大治(1126)、応保(1161)、長寛(1163)、安元(1175)、治承(1177)、建永(1206)、承元(1207)、嘉禄(1225)、嘉禎(1235)、乾元(1302)、弘和(1381)、享徳(1452)の改元が、いわゆる「災異改元」なのである。

正暦6年(995年)2月22日、全国的な天然痘(裳瘡。もかさ)の流行により、「長徳」に改元された。その前年、天然痘は平安京に侵入し、鴨川や都大路には埋葬しきれない庶民の遺体が放置されたという。年が改まると大内裏の官人(役人)たちも感染し、公家たちにも拡がった。

〔PHOTO〕Wikimedia Commons
 

長徳に改元とされても流行は収束せず、関白に就任して12日しか経たない藤原道兼も死亡した。その後も五位以上の官人のうち69人が死亡し、六位以下の官人・僧侶で死亡したものは数え切れないほどだったという。

天治3年(1126年)1月22日、天然痘の流行により「大治」に改元された。前年の冬から天然痘が流行し、若死にするものが多く出たためである。朝廷では前年末、内裏の諸門で疫病などを追い払う「鬼気祭」をおこなったが効果はなかったようである。