「人権」と「思いやり」は違う…日本の教育が教えない重要な視点

「道徳」で「差別」に挑んではならない
池田 賢市 プロフィール

しかし、根本の部分で問題設定が間違っているので、おそらく課題は解決しないだろう。差別は、その人に思いやりの心があろうがなかろうが、社会的関係性の中で起こっている

心の問題にしてしまうと、「私はこれまで差別なんかしていない」とか「差別するつもりはなかった」などという発言が多用され、それ以上、考えを進めていくことができなくなる。強制的に社会的な不利益を強いる「差別」問題を、「差別心」の問題にすり替えてはいけない

誤解がないように付け加えておくが、ここまでの議論は、けっして道徳教育を否定しているわけではない。あくまで、差別問題などの解決すべき人権課題は「道徳」では解けない、と言ってきたのである。人間が社会生活を営んでいく上で道徳性が重要視されるのは(その内容に関して議論はあるとしても)、まったく当たり前のことである。

ただし、人権問題に関しては、その方法でアプローチすると、とても危険なことになる、ということなのである。

 

教育実践論としては、以上のような「人権教育」の観点から道徳教材を教材化し直すことが必要になるだろう*2。そうでないと、「道徳」の枠組みの中で「人権」課題が私的問題として回収されてしまう。

*1 阿久澤麻理子「人権教育再考」、石埼学・遠藤比呂道編『沈黙する人権』(法律文化社、2012年)33~54頁、35頁
*2 宮澤弘道・池田賢市編著『「特別の教科 道徳」ってなんだ?』(現代
書館、2018年)を参照
 
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