東大生さえも無自覚に縛られる「みんな中流」意識の危うさ

東大入試問題から考える「格差と責任」
御田寺 圭 プロフィール

免責されるノブレスオブリージュ

この社会のエリート層が「自由な社会は平等かつ公平である」「自分はあくまで中流である」という意識を持つことの問題点は、彼らのような、経済的・社会的に優位なポジションを占める人びとの道義的責務(いわゆるノブレスオブリージュ)をしばしば忘れさせるということだ。

「みんな中流」意識は、エリート層たちの「ノブレスオブリージュはあくまで(例えば英国の貴族のような)特権階級に課せられるものであり、中流であるはずの、フェアな競争のいち参加者でしかないはずの私が負わされるのはおかしい。私は特権によって成功したのではない、努力によっていまの立場を得たのだから」という主張に説得力を付与する。

社会学者の上野千鶴子氏はおそらく、東大生の間にも、こうした利己主義的かつ個人主義的な考えが広がっていることに気づいていたからこそ、昨年の東京大学の学部入学式におけるスピーチでこのように述べたのだろう。

〈がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。(中略)
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください〉
「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」より)
 

市民社会があまねく「みんな中流」の意識を内面化することは、じつは貧しい人びとよりも、むしろ恵まれた立場にある人にとってひじょうに都合がよい。自由な社会がもたらす格差の責任を問われなくて済むからだ。

それどころか「人生がうまくいかないのは自己責任だ」と市民たちが率先して社会的責任を問う声を封じ込めてくれるのだから、安心して現状を肯定し続けることができる。私たちは、自由で平等な社会に暮らしているのだ――と。

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