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算数の教室で、米国人少女の「ある笑顔」を前に私が思わず涙した理由

「楽しい」授業のためにできること
勉強は苦しいもの、辛いもの。私たちはそう思ってしまうことが多いようです。

小学校進学を目前にして、お姉さん・お兄さんだけが小学校でできる「おべんきょう」という未知の活動にワクワクしていた過去の私たちは、どこへ行ってしまったのでしょうか。

一方、教える側の学校の先生は、「子どもが好き」「人を育てたい」といった熱意と使命感をもち、日々、教育を実践されています。しかし、教育の現場において、先生に求められるもの・課せられる負担は多く、長時間労働の結果、体調を崩してしまう先生も少なくありません。

子どもも先生も「楽しい」と感じながらかかわりあえる教育現場をつくるために、私たちにはなにができるのでしょうか。

憧れていた米国の教育現場で、ひとりの少女の一生懸命な笑顔を見たとき、私は流れる涙を抑えることができませんでした。

みんなと一緒に楽しく「おべんきょう」したい。そんな当たり前の願いを、教育実践の先進国ですら、かなえることができていなかったのですから──。

いま教育現場で起こっていること

私は、これまで幼稚園、小学校、大学病院の外来・入院患者を対象とした院内学級など、さまざまな国内外の教育の場で子どもたちとかかわってきました。

私がお手伝いした子どもたちのなかには、言葉がいっさい話せなかったり、激しい自傷・他害行為をしてしまったりするために、一般の教育の場から追い出されてしまう子どももいました。

 

すべての子どもに教育を受ける権利があります。そして、教育を必要としている子どもたちに、ふたりとして同じ子どもはいません。

これは、たとえば自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder:以下、ASD)のような同じ「診断」を受けた子どもたちについても同じです。

「ASDだから」といって子どもの個性を決めつけることはできません。身体的な能力、好み、学習スタイル、学習スキル、他者とかかわるスキル……こういったすべての側面において、子どもたちは皆、個性を持っています。

このようなひとりひとりにあわせた教育の重要性を、世界中の政治家やメディアが強調しています(たとえば、GIGAスクール構想、Sustainable Development Goalsなど)。

しかし、実際の教育現場では、先生方は集団を対象とした、「平均的な子どもたち」のための指導と教育に追われ、他方で子どもたちはそのような教育についていくのに必死です。

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クラスのみんなが受けている授業につまずいてしまった子どもたちのなかには、一定のペースで進む授業についていけなくなる子どももいます。このような状態が長く続いた結果、勉強にかかわるすべての活動や、学校そのものを嫌いになってしまう子どもたちもいます。

残念ながら、「ひとりひとりにあわせた教育」は、現時点では単なる「理想」に過ぎません。多様な個性が混じり合う教育現場において実現できていないのです。

「行動科学」で治療を成功させる

ひとりひとりに合わせた教育が実現できていないために、集団を対象とした平均的な教育からおいてきぼりにされ、苦しんでいる子どもたちを、私はこれまでたくさん見てきました。

また、そのような子どもたちをなんとか助けようとする先生方やご家族の方々が日々、困り、苦しむ様子を何度も見てきました。

その一方で、私が専門とする行動科学(本文では、行動分析学、徹底的行動主義を指します)にもとづいた教育や治療は、成果を出してきています。

ひと言もしゃべれなかった発達障害の診断を受けた子どもが、会話できるようになる。勉強が大嫌いでクラスで大暴れをして学校から追い出されてしまった子どもが、勉強を好きになり、学校に復帰する。

このような行動科学を活用した教育や治療の成功事例は、国内外に存在します。