出場停止明け3年で甲子園ベスト4、済美を変えた「改革」の中身

休みを導入し、丸刈りをやめた
元永 知宏 プロフィール

中矢は対外試合禁止処分を受けたときのことを、「それまでの10年以上の指導経験がすべて覆されるような、大変な1年だった」と語る。

「試合をできないことが、これほどつらいとは思いませんでした。ボランティアをやったり、清掃活動をやったり。この期間に自分たちがやっていたことを見つめ直し、過去を一度否定することが必要なんじゃないかと考えました。それまでのことを否定しないと、前に進めない状態だったので」

〔PHOTO〕iStock

「上甲スマイル」の裏にあった危うさ

女子校だった済美に野球部ができたのは、2002年のこと。監督には、宇和島東(愛媛)で全国優勝の経験を持つ上甲が招かれた。甲子園では「上甲スマイル」と好意的にメディアで取り上げられたが、猛練習と選手への厳しい指導で知られていた。そうでなければ、いくら優秀な選手を迎え入れても、甲子園に出られるはずがない。

2004年に二年生エースだった福井優也(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)は、高校時代をこう振り返る。

「厳しい練習でつらかったですけど、『日本一練習したチーム』という自負がありました。それが自信になったと思います。科学的なトレーニングではありませんでしたが、 『いずれ自分の力になる』と信じていました。とりあえず、言われたことを全力でやるだけ。選手から文句が出ることもありませんでした」

選手たちがカリスマ監督を信じ、猛練習に耐えたことで、創部わずか2年で日本一と準優勝を手にした。上甲は計6度もの甲子園出場を果たしている。

 

しかし、光が強ければ強いほど、陰は濃い。上甲が強いた「昭和の野球」には、弊害 があった。強いプレッシャーをかけることで、選手はどんどん追い込まれていく。上甲をサポートしていた中矢は、いつも危うさを感じていた。

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