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出場停止明け3年で甲子園ベスト4、済美を変えた「改革」の中身

休みを導入し、丸刈りをやめた

高校野球には厳しい練習がつきものだが、昭和の頃のような過激なやり方は通用しない。愛媛の強豪校・済美も、2014年夏の出場停止を機に大きく指導方針を変えた。『野球と暴力 殴らないで強豪校になるために』(イースト・プレス)を上梓したスポーツライターの元永知宏氏がレポートする。

出場停止という「地獄」

2004年春のセンバツ、カリスマ監督の上甲正典に率いられ、初出場初優勝した済美(愛媛)は、その夏の甲子園でも準優勝。2013年のセンバツもエース・安樂智大(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)の力投で準優勝したが、彼らはその後、1年間の出場停止という「地獄」を経験している。

二年生部員による、一年生に対する悪質な部内いじめが発覚し、2014年8月から1年間もの対外試合禁止処分を受けた。それは、三年生にとって最後の大会となる夏の愛媛大会にも出られないという、厳しいものだった。

済美の初代監督である上甲は、同年9月に胆管がんのために亡くなっている。カリスマ監督がこの世を去ったあと、長期の対外試合禁止処分を受けた済美の選手たち、チームを受け継いだ指導者は、どんな思いで野球に取り組んできたのだろうか。

 

上甲のサポート役として長く済美のコーチや部長をつとめた中矢太が、前任の乗松 征記のあとを受けて監督に就任したのは、2016年7月だった。中矢は明徳義塾(高知)の選手だった時代に、甲子園で松井秀喜(元・ニューヨーク・ヤンキースなど)のいた星稜(石川)と対戦している。高校卒業後に進んだ専修大学では、黒田博樹(元・ロサンゼルス・ドジャースなど)のチームメイトだった。