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日本文化の“原点”は「中国語のリミックス」である

デュアル・スタンダードとしての日本語
古代以来、日本文化のコンセプトの多くは「和漢の境(さかい)」をまたぐことによって成立してきたといいます。日本(和)は、中国(漢)の文化をどのように取り入れ、そこからどのような独自性を生み出してきたのか。
日本文化研究の第一人者・松岡正剛氏の最新刊『日本文化の核心』からご紹介します。

「稲・鉄・漢字」という黒船

日本列島は2000万年前まではユーラシア大陸の一部でした。それが地質学でいうところのプレートテクトニクスなどの地殻変動によって、アジア大陸の縁の部分が東西に離れ、そこに海水が浸入することで日本海ができて大陸と分断され、日本列島ができあがったと考えられています。

このような成り立ちをもつゆえに、日本列島が縄文時代の終わり頃まで長らく大陸と孤絶していたという事実には、きわめて重いものがあります。日本海が大陸と日本を隔てていたということが、和漢をまたいだ日本の成り立ちにとって、きわめて大きいのです。

 

その孤立した島に、遅くとも約3000年前の縄文時代後期までには稲作が、紀元前4~前3世紀には鉄が、4世紀後半には漢字が、いずれも日本海を越えて大陸からもたらされました。「稲・鉄・漢字」という黒船の到来です。

とりわけ最後にやってきた漢字のインパクトは絶大でした。日本人が最初に漢字と遭遇したのは、筑前国(現在の福岡県北西部)の志賀島(しかのしま)から出土した、あの「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という金印であり、銅鏡に刻印された呪文のような漢字群でした。これを初めて見た日本人(倭人)たちはそれが何を意味しているかなどまったくわからなかったにちがいありません。

史上最初で最大の文明的事件

しかし中国は当時のグローバルスタンダードの機軸国であったので(このグローバルスタンダードを「華夷秩序」といいます)、日本人はすなおにこの未知のプロトコルを採り入れることを決めた。

ところが、最初こそ漢文のままに漢字を認識し、学習していったのですが、途中から変わってきた。日本人はその当時ですでに1万~2万種類もあった漢字を、中国のもともとの発音に倣って読むだけではなく、縄文時代からずっと喋っていた自分たちのオラル・コミュニケーションの発話性に合わせて、それをかぶせるように読み下してしまったのです。

私はこれは日本史上、最初で最大の文化事件だったと思っています。日本文明という見方をするなら、最も大きな文明的事件だったでしょう。ただ輸入したのではなく、日本人はこれを劇的な方法で編集した。