3月14日 トヨタグループの創始者、豊田佐吉が誕生(1867年)

科学 今日はこんな日

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"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

この日、発明家にして起業家の豊田佐吉(とよだ・さきち、1867-1930)が、遠江国敷知郡(ふちのこおりぐん)山口村(現静岡県湖西市)で生まれました。

家は貧しい農家で、父親は機大工(はただいく)も兼業していたといいます。

時代が江戸から明治に変化するさなかに生まれた彼は、『西国立志編』に大いに影響を受けて育ちます。これはイギリス人サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles、1812-1904)の著書『SELF HELP』を文学者・中村正直(1832-1891)が翻訳したもので、明治期のベストセラーでした。

佐吉は特に、紡績機械や動力織機などの繊維機械を考案した発明家についての記述に興味を持ったといいます。

青年期の豊田佐吉 Photo by Public Domain

小学校を卒業後、佐吉は父を手伝いながら仕事を覚え、名古屋に出て織物工場の職工となります。そこで従来の木製手織り機の改良に励み、1891年には独自の木製人力織機の特許を取得。1895年には豊田商店を創業し、その翌年には「豊田式汽力織機」を発明します(1897年特許取得)。これは、鉄製の歯車やシャフトによって人力なしで作動する、日本初の動力織機の発明でした。世間からも、織り出す布が高質でむらがないことを高く評価されました。

佐吉はこれに満足せず、完全自動運転する織機の開発を生涯の目標にすえ、豊田商店の事業を拡張させながら発明を継続。1905年にはたて糸の送り出し装置を備えた「38年式織機」を発売します。これには糸の張力の自動調節や異常発生時の自動停止といった機能が備わっていました。このような自動化を重視する考えは、後のトヨタグループに受け継がれることとなります。

38年式織機やその改良版「39年式織機」、低価格版の「軽便織機」は好評を博し、素晴らしい売れ行きを見せます。それを受け、1902年に改称して豊田商会となった佐吉の事業も拡大し、工場も創業から10年で10倍近くに拡張されました。そして1907年には、三井物産など紡績関係者の提案を呑む形で豊田式織機株式会社に改組します。しかし、常務に就任した佐吉は経営陣と対立し、辞職して海外に旅立ってしまいました。

アメリカからイギリスに渡り、ヨーロッパを東に横断してロシアを経由し帰国した佐吉は、日本で再び紡織に携わることを決意します。その背中を押したのが、アドレナリンの発見者・高峰譲吉(1854-1922)でした。ニューヨークで対談し、高峰の経験や苦労を聞いたことで、佐吉は大いに勇気付けられたそうです。

帰国後の1914年、佐吉は改めて豊田自動紡織工業を設立します。すると第一次世界大戦に伴う軍需も追い風となり、2年で工場の規模は5倍になりました。同社は1918年に豊田紡織(現・トヨタ紡織)へと改組されました。

豊田佐吉豊田佐吉(1922年、上海にて撮影。上海での事業展開を懸念する周囲に対して、佐吉は「障子を開けてみよ。外は広いぞ」と語ったと伝えられている) Photo by Kodansha Photo Archives

1924年、ついに無停止杼換(ひがえ)式豊田自動織機(G型自動織機)が完成。「高速運転中に少しもスピードを落とすことなく、杼を交換してよこ糸を自動的に補給する」この織機の完成で、佐吉の悲願は達成されました。

G型自動織機は爆発的な人気を集め、これを製造するために1926年、豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を設立。同社が現在のトヨタグループの本家にあたります。

こうして佐吉は「世界の織機王」へとのぼりつめました。

G型自動織機 Photo by Getty Images

1930年に亡くなった佐吉は、自動車の研究を進めるよう遺言を残しました。父の思想を受け継いだ長男の喜一郎(1894-1952)が、後にトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)を創業するのです。