フリー編集者の上松容子さんは、両親が30代のときに生まれたひとりっ子。東京で生まれ育ったが、両親は仲良く元気で、両親の兄妹も都内にいた。しかし父ががんで急逝すると、「ていねいな暮らし」をしてきた母・登志子が一気に認知症を発症したのだ。

上松さんには、実母と一緒に暮らせない事情も抱えていた。そこで相談したのが、しっかり者として町内でも有名な、母の実家に暮らす母の実姉・恵子だった。母と暮らすことを喜んで引き受けてくれ、ほっとしたのも束の間、実はその実姉も認知症の疑いがあり、どんぶり勘定で生活費も母の年金を頼っている現状を知る。しかも、二人の家はネズミが走り回るゴミ屋敷と化していた。介護サービスに相談をし、ヘルパーの方が来てくれたが、プライドの高い伯母が追い返してしまう。袋小路に追いやられていた。

これは、名前のみを変更したドキュメント連載である。第8回となる今回は、母から伯母の怪我を知らされた時のことをお伝えする。

上松さんの今までの連載「介護とゴミ屋敷」こちら

伯母が動けない! 
母からの緊急連絡

2007年11月半ば。 駅を降りた私は、タクシーをとばして伯母の家に向かった。歩いても10分強の距離なのだが、できるだけ早く着きたかった。
私はこの前日、母、登志子からたどたどしい言葉で連絡を受けていた。伯母・恵子が座卓から転げ落ちて動けなくなっているというのだ。

「座卓から落ちる」って、どういうこと? いっしょに暮らしていながら、母も詳しい状況が把握できていないし、うまく説明ができない。しかし、いつもならすぐ電話に出る伯母が出てこられないということはよほどのことだ。福祉相談員のAさんに連絡し、状況を確認しようということになった。

通路に入る前に新鮮な空気を思いきり吸うのが、ここしばらくの習慣になっていた。家の中が臭気で充満しているからだ。

息を詰めて、みっしり生えたツバキやレンギョウの枝の下を一気にくぐりぬけると、三畳ほどのスペースが開ける。小ぶりのカヤの木の下には、花崗岩の「つくばい」がある。かつて澄んだ水をたたえていたつくばいも、枯れ葉が山盛りになっていた。
玄関の引き戸をガラリと開けた途端、ドブ川のような臭気がモワッと襲いかかってきた。風情のある庭。正月には親類縁者で賑やかになった思い出深い家。今はその片鱗さえ見出せない。

薄暗い部屋の奥に、AさんとケアマネージャーのMさんが立っているのが見えた。約束より早く来てくれたのだが、部屋がゴミで埋め尽くされているので、立つよりほか、ないのである。外から二人にお礼を述べつつ、部屋に上がる。忙しいのに、いとこのユカも来てくれていた。

母は相変わらず、小動物のように座イスでうずくまっている。その奥に伯母がいた。「書類」と称する空封筒の束や新聞、レジ袋に詰められた生ゴミや不燃ゴミがあたりを埋め尽くし、それらを押しやって敷かれた万年床にへたりこんでいる。布団の隣には、祖母の介護時に使っていたポータブルトイレがあった。

Mさんは中腰になって伯母をなぐさめていた。こうした気遣いのおかげで、私が到着するまでの間に伯母の気持ちがほぐれていたらしい。Mさんに腰の痛みを事細かに伝えている。

伯母の話を総合すると、重い座卓を窓に寄せてしまったので、窓に近づくことができなかった。そのため、雨戸を閉めるときは座卓に上がらなければいけない。座卓の上はゴミと食器などで埋まっている。それでバランスを崩し、畳の上に腰から落ちたらしい。座卓は高さ30センチあるかないかだが、骨の脆い老人は簡単に怪我をするのだろう。

かつてはこのような綺麗な家だった。この座卓が窓につけられ、その周りはモノで埋め尽くされ、座卓の上もモノでいっぱいだった。その合間を縫ってこの高さのテーブルに登り、雨戸を閉めようとしていた Photo by iStock

「おばちゃん、やっぱり専門のお医者さんにみてもらおう。痛みの原因がわからなかったら、不安なだけでしょ」。

A相談員と玄関に出てこっそり話し合う。
「この辺りに整形外科は? 」
「どこもほぼ等距離で、私の足で歩いても10分ほどはかかります」 
「思い切って総合病院に行きます?」