成功は神さまのおかげ、
失敗は信仰心が足りないから

芸能界は誰もが入れるような簡単な世界ではない。同じ事務所にいた目をみはるような美少女も、驚くほど演技のうまい先輩も、夢を諦めて去っていった。祖母の言葉は、彼らの姿も全否定するように響いた。

信仰心が足りないって、なに? どこまですれば、神様は満足してくれる? 祖母を前にして、次から次へと疑問が湧いてくる。高校生の頃に一度抱いた宗教への懐疑心が、あらためて首をもたげる。けれど、当時のぼくは反論するだけの言葉を持ち合わせていなかった。

そして、その出来事を機に、ぼくのなかから信仰心というものが消えた。成功すれば神様のおかげ、失敗すれば信仰心が足りないせい。祖母の価値基準に照らし合わせると、そこに人間の努力は介在しないことになる。そんな理不尽なものさしで判断されるのは、もううんざりだ。自分の人生は自分で決める。そこに神様の存在なんて許さない。信仰したければ、勝手にすればいい。でも、もうぼくは関わりたくない。宗教なんて、もう信じない。

それから10年以上が経ち、祖母は亡くなった。あれだけ熱心に信仰し精力的に活動していた彼女も、晩年は認知症が進み、寝たきりの状態だった。

祖母が最期を迎えるとき、ぼくは枕元で手を握り、こんな風に訊いてみた。

「おばあちゃん、幸せだった?」

祖母の目はひどく濁っており、もはやぼくの姿さえ見えていないようだった。けれど、握る手には力がこもり、うまく開けない口で、彼女はぼそっとなにかを呟いた。その最期の言葉はうまく聞き取れなかった。

信仰が足りないと幸せになれない。あんたの信仰が足りない。そう言い続け、なによりも信仰に力を注いできた祖母が認知症になり、床ずれに苦しむ姿を目の前にした。でも、祖母が幸せを感じるなら、それでいい。ただ、他の人の幸せは他の人本人が決めることだ Photo by iStock

祖母は自分自身、そして家族の「幸せ」のために、宗教に傾倒していった。その気持ちに嘘はないだろうし、そこだけを見ると、とてもありがたいことだとも解釈できる。けれど、大人になったいま、思春期を振り返ると、胸が痛くなることが多い。

信仰は人を幸せにするのか。祖母は宗教によって本当に幸せだったのか。それを探るため、このあとも、祖母とのエピソードを思い返し、綴っていきたい。そこに答えがあるはずだから。

【「祖母の宗教とぼく」第2回は3月25日(水)公開予定です】