赤ヘル打線「最後のピース」高橋慶彦が走りまくった、カープの1979年

足を武器にプロの世界を生き抜いた男
週刊現代 プロフィール

それでも、「しんどいと感じたことはなかった」と振り返る。

「才能のある人って、努力が辛いんですよ。なぜなら、元からできるぶん、伸びている手応えがわかりにくいから。

俺はヘタだったから、やればやるほど『こんなにできるようになった』という喜びを味わえた。そうやって無我夢中にやっていて、気づいたらポンと結果が出るようになった」

 

おちょくっているように見えて

もちろん、そこは昭和の野球選手。疲れていても、寝る間を惜しんで遊ぶことも忘れてはいなかった。高橋と1、2番コンビを組んだセカンドの木下富雄が言う。

「門限破り、お酒、麻雀、オネーチャン遊び……みんな慶彦に教えたのは俺だった。『慶彦よ、世の中にこんないいモンがあるんだ。コレを摑むためにどうしたらいいかわかるか? グラウンドで活躍するしかないだろう』と。

アイツは『キーちゃん、キーちゃん』と、ニコニコしながら後ろをついて来とったな(笑)」

監督の期待に応えたい。上手くなりたい。たくさん稼いで、いい暮らしをしたい。
そんな思いを胸に練習を重ねた高橋は、'79年、開幕から走りに走った。

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「慶彦の走塁はアグレッシブでね、『このピッチャー、牽制、下手だな』と思ったら、人の倍くらいリードを取る。ベンチから見ていると『バカか、おまえは!』と思うくらいで、相手をおちょくっている感じにしか見えない。

でも、それはかなり戦略的にやっていた。ピッチャーの目を引き、集中力を削いで、後ろを打つバッターを楽にさせようとしていたんです」(前出・木下)