男性は「見えない特権」と「隠れた息苦しさ」の中で、どう生きるか

自己を問い直す対話を開く
西井 開 プロフィール

例えば、フェミニズムや男性学に触れた男性たちが「自分も昔は男性規範に縛られていた」「以前は差別的なふるまいをしたことがあった」と、"過去形"を使って、まるでさっぱりと生まれ変わったように自分を語っているのをよく見かける。ここには、「私はもう縛られていない」「全く差別をしない」という含意があり、他の男性と違って自分は正解が「わかっている」という意識が存在する。

そして「わかっている」男性が「わかっていない」男性を軽んじ、上から目線で啓蒙していくような、「男の物語」が再び編み出されていくことになる。

〔PHOTO〕iStock

例に漏れず、私もこの落とし穴によくはまっている。以前、私の発言が女性抑圧的なのではないかと友人から指摘されたことがあった。私は恥じらいより先に(恥じらいを隠すために?)、そんなことがあるはずがないという否定の気持ちを抱き、自分はジェンダーについてこれだけ学んできた、これだけの実践を重ねてきた、なぜわかってくれないんだ!という抵抗を見せたことがある。

「新しい男性像」を一定の条件を満たせば達成できるものとして捉え、その条件を自分は満たしていると思いあがった瞬間、自己を問う姿勢は失われる。それどころか、達成できたという虚像が崩れるのが怖くて、人の言葉に耳を傾けることをしなくなってしまう。こんなものが来るべき男性像であるはずがない。むしろそんな男性像はやって来ないでほしい。

どれだけ敏感になっていても自身のふるまいが差別的になることはある。また、つい競争的になって他者を貶めようとする自分が顔を出すかもしれない。「新しい男性像」という言葉に酔って自分の負の側面を忘却してはならないし、またもちろん開き直ってもいけない。

 

新しい男性とは、達成されるものではなく、常に変化し続ける存在のことだ。自分を縛る価値基準やふるまいに自覚的になりながら自己を更新し続け、社会を改善するための取り組みを継続する。その状態こそが男性には求められていると思う*5

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