2020.03.08
# ジェンダー

男性は「見えない特権」と「隠れた息苦しさ」の中で、どう生きるか

自己を問い直す対話を開く
西井 開 プロフィール

男らしさの終焉へ向けて

デフォルトマンを頂点とした競争関係と、それによって引き起こされる他者の貶め、さらに性差別への加担など、「男らしさ」に固執することは社会にネガティブな影響を及ぼしている。また、「男らしさ」を達成できないことによって自己否定感を抱くことや、他者と豊かな関係性をつくる機会を失ってしまうという点において、男性も代償を被っている。

しかし私たち男性は、自分のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化をしない存在として諦める必要はない(p.189)。ジェンダー平等*4のために、そして自分自身を「男らしさ」の束縛から解放するためにも、男性は自身のあり方を変化させるべきだとペリーは説き、そして来るべき「新しい男性像」を提示する。

男性のロールモデル。進歩的な男性。男性の問題が大きく取り上げられる昨今、これらの言葉は力強く響く。しかし私はこの「新しい男性像」という発想には十分に注意を払わなければならないと考えている。ここからは本書を離れ、「新しい男性像」をめぐる言説の問題点について私なりの考えを論じていきたい。

「新しい男性像」という発想の落とし穴

自らの特権を問い直し、競争や暴力から解放された存在としての「新しい男性像」。一見その発想は素晴らしいものに見える。しかし、「新しい男性像」と言ったとき、私たちは同時に、至らない「古い男性像」を想定し、そして「新しい男性」たり得るための特定の条件がある、と考えてはいないだろうか。

この考えに陥ると、その条件を満たしているかどうかという価値基準が生まれ、その基準をもとにまた男性たちは得点競争を始めることになる。「イクメン」などがその典型だが、男性性は時代が要請する理想形を取り込みながら次から次へと新たな価値基準を作り上げてきた。そしてその条件を満たした男性は褒められて、至らない男性は軽んじられることになる。

 

ペリーは、フェミニズムをどれだけ理解して実践できているかということさえも、男性の争いの道具として利用されることを懸念している。これは自戒にもなるが、同様の危惧を私も感じている。

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