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# ジェンダー

男性は「見えない特権」と「隠れた息苦しさ」の中で、どう生きるか

自己を問い直す対話を開く

男性同士の「対話の場」で見えたこと

最近ある少年漫画が流行っているというので読み始めた。主人公の少年がライバルとともに成長しながら迫りくる敵を倒していくという王道のストーリーなのだが、厳しい特訓の最中や強敵に苦戦しているときに、彼が心の中で繰り返し叫ぶフレーズが気になった。「俺は男だ。だから耐えるんだ…」。耐えることと男性であることの間に一体何の関係があるだろうか?

「男らしさ」は常に我慢、勝利、挑戦、競争などと紐づけられて語られてきたし、またそうしたストーリーを取り込んだ男性たちは無意識のうちにそれに沿うようにふるまってきた。そのふるまいが、男性自身を生きにくくさせ、周囲に害を与えているとしたら…。

「男性性は変わらなくてはならない」。イギリスのアーティストであるグレイソン・ペリーの『男らしさの終焉』は、「男らしさ」に縛られることがいかにネガティブな影響を生み出しているか、またどうすれば男性性を変化させていくことができるのかを紹介している。

私は男性同士が対話する場をつくることを目的とした団体を2016年から主催してきた*1。現在隔週で開かれているグループ(以下グループ)には平均10人程度の男性たちが集まり、恋人ができない悩みや周囲からの孤立感、様々な加害・被害の経験、そして(性)差別的な行為をどうすれば止められるかについて語り合っている。

ペリーが描くイギリスの男性たちの実態と、私を含むグループに参加する男性たちの経験は重なる部分が多い。本稿では、『男らしさの終焉』をもとに、グループで語られる内容を参照しながら、「男性のこれから」について考えていきたい。

 

デフォルトマンは誰だ

まず本書の内容を追ってみよう。冒頭では、現行の社会構造の中で何の不便も感じずに暮らし、他の人と比べると難なく社会的に成功していく男性の象徴として「デフォルトマン」(p.26)の存在が提示されている。社会の「初期値」(デフォルト)に位置付けられるような標準的な存在というわけだ。