人間の顔はなぜ「毛」で覆われていないのか? その深すぎる理由

実はこんなに「合理的」だった
マーク チャンギージー プロフィール

私たちは完全に裸ではない。普遍的に毛が残っている場所は、裸の部分が色彩のためにあるという考え方と、うまく合致する。ある体の部位が他者から見えないのなら、色を使ってシグナリングする理由がないので、むき出しになる必要もない。つまり、見えない体の部位は、毛が生えていることが見込まれる(ただし、手のひらや足の裏のように、遠い祖先の時代からむき出しになっている部分は除く)。

これは私たちに当てはまるだろうか? 人間の体には、見えづらい場所が三つあり、当然そこは色によるシグナリングに向いていない。それは、頭のてっぺんと腋の下と鼠径部だ。はたして、これらは人間の体で普遍的に毛が生えている場所だ。色によるシグナリングができない場所にはまだ毛が生えていることから、(新たに)むき出しになった場所が他者のためにあることがうかがわれる。

実際、鼠径部がこれに矛盾する(人間の場合のように、生殖器が充血して、その部分のむき出しの肌が見えるようになる)のは、他者がその肌を目にする可能性が高いときだ。

「筋肉」よりも「色」が強い

私たちはそもそも、なぜ色で感情をシグナルするように進化したのだろうか? 表情や身ぶりでは伝えようがなかったのに、肌の色のシグナルなら伝えられるものとは何だろう?

一つには、色は筋肉の活動をまったく必要とせずに示せるので、空いた筋肉を使って、何であれ、当の動物は望みどおりの行動がとれる。食べている間、怒った顔をしていられるだろうか? メスのチンパンジーなら、発情期の間中、こっちへどうぞという表情を保っていられるだろうか?

 

また、色のシグナルは、胸や尻のように、身ぶりができるような筋肉のない体の部位でも示される。おかげで、シグナルする「カンバス」の面積が広がるばかりか、肝心要の部位にシグナルを表示できる。メスがこちらへどうぞという顔をしたら、オスの注意を惹くのには効果的かもしれないが、赤く充血した尻はオスを適切な部位へと導く。