巨人に勝てなくても「1972年の阪急ブレーブス」こそ史上最強の球団だ

「人気のセ、実力のパ」と言われた時代
週刊現代 プロフィール

「'71年のV7あたりから、戦力的にウチが苦しくなっているのはわかっていたんです。でも、王ちゃんが『俺たちは、孫の代まで8年勝った、9年勝ったと話ができる記録を残そうじゃないか』と若手を鼓舞した。

キャッチャーの森祇晶さんは35歳を迎えていて『森の肩じゃ、福本を刺せないだろう』なんて声も少なくなかったけど、こちらも王者の意地がある。『よし、走れるもんなら走ってもらおうじゃないか』と、皆で福本を徹底研究していたんです」

あの巨人に勝ちたかった

シリーズ前の練習期間、多摩川のグラウンドで森や黒江、そしてセカンドの土井正三は福本対策のスローイングをひたすら繰り返したという。

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「チームとして確認していたのは、福本が塁に出たら、嫌になるくらい牽制すること。セカンドに進まれても、僕や土井が『牽制に入るぞ、入るぞ』という動きを絶え間なく見せつけ、福本に意識させるようにしました。

そして、一塁ランナーがいる場面で、福本がゲッツーを狙えるような打球を打っても、ランナーは無視して福本を確実にアウトにしようということまで決めていました。

二塁ランナーを失うより、塁上から福本を排除されるほうが、阪急にとってはるかにダメージが大きいからです」(黒江)

執拗なまでの「福本封じ」で阪急の攻撃の芽を摘み、士気を削ぐ。この巨人サイドの徹底ぶりを象徴する場面が第4戦の3回裏にあった。ワンアウト一塁で福本を置いた場面。ここで巨人の菅原勝矢が牽制を7回繰り返したのだ。

 

いつまで経っても打者に向かわない菅原に福本はついに根負け。リードを大きくしたところを8球目の牽制で誘い出され、一二塁間で挟み込まれてアウトになった。

若き個性派チームは、絶対王者の老獪な知恵と戦略の前に、一度崩されると立て直せなかった。前出の長池は「結局、我々はチームとしての一体感で巨人に負けていた」と振り返る。