巨人に勝てなくても「1972年の阪急ブレーブス」こそ史上最強の球団だ

「人気のセ、実力のパ」と言われた時代
週刊現代 プロフィール

投打のバランスのとれた戦力は他球団の選手たちを恐れさせ、まさに向かうところ敵なしの状態だったが、阪急戦士たちの眼は開幕前からすでに「その先」を見つめていた。打倒巨人だ。山田久志が言う。

「率直に言って、当時は『パ・リーグで優勝するのは当然』という感覚でした。我々、選手が願っていたのは西本監督の悲願である日本シリーズ制覇、すなわち、川上巨人を倒すことだけでした」

当時、巨人は'65年から始まる伝説のV9の真っただ中。'67年から'71年まで、西本阪急は出場した4回の日本シリーズのすべてで、巨人に惨敗を喫していた。
福本が言う。

「新聞に『阪急また負けた』なんて書かれたりしてね。ファンからも『どうせ負けるんやから、日本シリーズに出たってムダや!』なんて、ドギツいヤジを飛ばされたりした。もう悔しくてね。

でも、一番悔しかったのは西本さんやったと思う。闘志をはっきり前面に出すタイプの人ではなかったけど、'72年のシーズンは明らかに練習をやらせる量が増えました。守備練習にしてもバッティング練習にしても、みんな必死でしたよ」

この年、41本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した長池は、打倒巨人に向けて、かつてない手応えを感じていた。

「福本があれだけの数の盗塁をこなして、加藤と僕が帰すスタイルも確立できた。いつでも点が取れるチームが出来上がり、遠くに見えていた巨人の背中が近くに見え、あるいは我々のほうが先を行っているのではないかと思えた年でした」

 

この年、巨人のV9戦士たちの力に陰りが見えてきたことも、阪急にとって追い風だった。

主力メンバーの平均年齢が30歳を超え、4番の長嶋茂雄も打率が2割台中盤まで落ちるなど衰えが顕著に。阪神を3.5ゲーム差で辛くもかわしてのシリーズ出場だった。