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巨人に勝てなくても「1972年の阪急ブレーブス」こそ史上最強の球団だ

「人気のセ、実力のパ」と言われた時代

世界一のリードオフマンに2人のサブマリン、そして強力なクリーンナップ。「人気のセ、実力のパ」と言われた時代、閑古鳥の鳴く球場で投打の役者を揃えたチームが、満を持して球界の盟主に挑んだ。

客席はガラガラだったけど

「1972年、僕は高校1年生でした。背丈が低かったから同じように小柄な福本豊さんに憧れた。ただ足が速いだけじゃなくて、ガーンと引っ張る打撃も格好良くて、阪急の大ファンになっていました。

本拠地の西宮球場に行くと、客席はガラガラ。でも、寡黙で穏やかな雰囲気の西本幸雄監督をはじめ、みんなに個性があって、何とも言えない魅力が漂っていた。いま思い出しても、あの頃の阪急こそ最強のチームだったと思います」

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懐かしそうに振り返るのは、俳優・段田安則だ。'60年代後半から、'70年代にかけて、パ・リーグはまさに「阪急の時代」だった。かつて万年下位だったチームを引き受けた育成の名手・西本が若手をじっくりと磨き上げ、在任中に5回のリーグ優勝を果たした。

段田の言う通り、阪急の特徴は、なんといっても選手の個性。その象徴は、やはり世界の盗塁王・福本だった。幾度も対戦した元南海の江本孟紀が振り返る。

「野村克也さんのもと、山のようにクイック練習をしましたが、福本はするりとくぐり抜けてくる。そもそも、あれだけ大きなリードをとってスタートを切れる人間はまずいません。

 

そして、二塁に近づくに従って一気に加速してドッと滑り込む。脚力とセンスを兼ね備えた、稀代の天才です」

その福本が入団4年目にして、日本記録となる106盗塁を決めたのが、'72年。このシーズンはチームとしても脂が乗り切っていた。