国境線というシステムによって、
狭間で苦しむ弱者がいる

木村草太 法学者

レバノン映画の『存在のない子供たち』は、小さな男の子が“自分を産んだ罪”で親を訴える衝撃的な場面から始まる。不法移民の親のもと、彼は国家に登録されないまま極貧の環境で生きていくことを強いられる。主権国家システムでは、国籍や安定した永住資格を持たない者は、どの国の領域からも、必要な保護を受けられない。“存在しない子ども”として、教育も社会保障も受けられない。親たちは、子どもに愛情を注ぐ余裕がない。

「国家への登録の権利」と言うと、無味乾燥な事務手続きのように聞こえるかもしれない。しかし、映画のパンフレットで、ナディーン・ラバキー監督は、この世界では、子どもたちが“愛される権利”を奪われている、と語る。国家から教育や社会保障を受ける権利は、“愛される権利”を実現するために不可欠なものであり、人間の生にとって根幹となる。このことを、映画は教えてくれる。全ての人が愛し、愛される権利を持てるようにすることも、SDGsの概念に含まれる事柄だと理解すべきだろう。

長尾龍一先生の『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』は、「主権国家という概念の創造は、人類史上最大の誤りだったのではないか」と問いかける。すでに主権国家で生活していて、それが当たり前になっている私たちには、刺激的な問題提起で、すぐには飲み込めないかもしれないが、古代帝国と比較してその仕組みを理解すれば分かりやすい。古代帝国はその領域の中に多様な民族や言語、地域を含み、世界全体の支配を視野に入れるのが基本理念だった。

一方、主権国家は領域を厳密に国境線で区切って面で支配する。すると面の中では、圧倒的で至高の権力となるが、面の外には関心を持たなくなる。国境線の中の問題は、それぞれの国が解決を試みることになり、強い政府が税金をシステマチックに徴収する、効率的に福祉政策を行うなど、内政は円滑に進む。児童虐待が起これば厚生労働省が対処するし、殺人事件が起これば警察が動く。しかし難民問題、環境問題といった国境を越えた国際的課題は、責任の主体があいまいになり対応能力が低くなってしまう。すると、『存在のない子供たち』と同じように狭間の領域で苦しむ弱者を放置する問題に行き当たる。豊かな生活という開発のメリットを享受するのであれば、同時に開発によって外の世界で失われる人権や環境にも目を向けて、もう一度自覚的にならなければいけない。

存在のない子供たち
中東を舞台に、戸籍がなく貧しい暮らしを強いられる12歳の少年ゼインを描く。レバノン出身の女性監督ナディーン・ラバキーによる、3年ものリサーチ期間を経て制作された話題作。sonzai-movie.jp

リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史
長尾龍一/著 トマス・ホッブズ、ハンス・ケルゼン、カール・シュミットという3人の哲学者の思想を比較しながら読み解くことで、近代に確立されたシステムである主権国家が内包する大きな問題点を指摘する。講談社学術文庫/¥780

木村草太 きむら・そうた
1980年横浜市生まれ。首都大学東京教授。2008年に助手論文を基にした『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を出版。近刊に橋下徹との共著『憲法問答』(徳間書店)がある。テレビ・ラジオのマスメディアでも積極的に活動中。

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Illustration:Yuko Saeki Text:Toyofumi Makino Text & Edit:Asuka Ochi