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続々「ギガ恐竜」発掘成功! に16年を費やした中国「残念な事情」

地味な郊外が「恐竜町おこし」に挑戦中
名著『八九六四』で中国の命運を変えた1989年の出来事を活写したノンフィクション作家・安田峰俊氏。ブルーバックスでは中国恐竜史の流れを変えた「1989年から始まる怒濤の大型発見ラッシュ」を紹介します!

河南省の汝陽県、と聞いてピンとくる日本人はほとんどいないだろう。歴史的な古都・洛陽市の郊外にある小さな県である。

三国志に詳しい人のなかには、後漢末の武将である袁紹や袁術が「汝陽の人」だったと思い出す人がいるかもしれない。しかし、2世紀当時の中国で「汝陽」と呼ばれていた場所(河南省周口市商水県)と現在の汝陽県とは200キロ以上離れている。実は両者に直接的な関係はない。

現代の汝陽県の名物はお酒らしいが、基本的には特徴の薄い場所である。だが、2000年代のなかばごろから、この土地は「恐竜」の視点からはかなりの注目株となった。

汝陽県の郊外 https://www.cenews.com.cn/ より

はじまりは1989年

汝陽県の劉店鄕から三屯鄕にかけての地域には鉄分を含有した赤い岩の地層(レッドベッド)が広がり、化石が見つかりやすい地層だった。

もっとも、昔の中国の人たちの大部分は化石の知識がなかった。ゆえにこの汝陽県のレッドベッドも、過去60年以上にわたって「龍骨 lóng gŭ」(中国医学の薬の原料になる「龍の骨」)が採れる場所としてのみ知られ、小規模な売買がおこなわれてきたようだ。

そんな汝陽県に変化が訪れるのは1989年のことである。

長年にわたり龍骨の収集を趣味としてきた地元の老共産党員・曹鴻欣が、中国科学院に手紙と龍骨のサンプルを送り、専門家による調査を依頼したのだ。便りを受け取った著名な恐竜学者の董枝明(Dong Zhiming)がサンプルの龍骨を見てみると、たしかに恐竜の骨のようだった。

しかし、それまで中国当局が把握している地質報告によれば、汝陽県付近の地層は新生代の古第三紀であるとみなされており、このサンプルが本当に地元から出土したかを含めて調査する必要があった。そこで董枝明は愛弟子の呂君昌(Lü Junchang)らを現地に送り、詳しく調べさせることになる。

多忙の天才、論文発表が遅れる

もっとも、調査はすぐには実を結ばなかった。

第一回調査のときには、呂君昌たちは曹鴻欣老人の案内のもとで現地の民衆が「龍骨」を採掘しているという山をいくつか回ってみたのだが、化石が出土する場所は見つからず。村民たちが掘り出したという龍骨の現物をいくつか持ち帰っただけに終わってしまったのである。

もっとも、めげない呂君昌はその後の数年間、さらに3回にわたり汝陽県でのフィールドワークを継続。

呂君昌発掘にのぞむ呂君昌(『化石網』より)

1993年になってついに曹家溝と呼ばれる場所に恐竜化石の出土ポイントを見つけ、いくつかの骨を掘り出す。

だが、汝陽県の恐竜はなかなか陽の目を見なかった。