拍子木から始まり、女形の梅沢が渋く歌い上げる光景は、まるで3分42秒の舞台を観ているかのよう。誰もが口ずさんだ名曲は、とある無理難題から誕生した。(梅沢富美男×小椋佳×太田省一)
小椋 最近、どの番組にも梅沢さんが出演しているじゃないですか。元気そうでなによりです。
梅沢 7年ほど前から、「梅沢富美男ブーム」とか言われて、確かにテレビの出演本数は多くなりましたね。
好きなコメンテーターにあげてもらうことも多くなったんですけど、ハッキリとものを言わないと済まないたちなので、最近は僕が出演すると、テレビ局にクレームが入ることも多いんです(笑)。
太田 テレビに引っ張りだこの梅沢さんですが、やっぱり僕にとっては「下町の玉三郎」のイメージが強いです。妖艶な女形が注目されて一躍、時の人となりました。
そんな梅沢さんと、銀行で働きながら数々のヒット曲を生み出してきた小椋さんがタッグを組んだのが、『夢芝居』です。
'82年に発売されたこの曲は、翌年の『ザ・ベストテン』の出演をきっかけに大ヒットを記録し、梅沢さんはその年の紅白歌合戦出場も果たしました。
梅沢 最初の1年間で50万枚売れたって聞いたから、累計では100万枚超えているんじゃない。
小椋 発売から半年くらいは、全く評判にならなかったのにねえ。『ザ・ベストテン』に出演したら、今までは何だったんだっていうくらい売れ始めた。
梅沢 当時、役者が歌なんて歌うもんじゃないと思っていたから、歌番組の出演はことごとく断っていました。だけど、あるとき黒柳徹子さんが僕の舞台を見にきて、「あんた、私の番組に出なさいよ」って言われてしまった。
それでも「その日は舞台があるので……」と断ろうとしたら、いつもの早口で「じゃあいいわよ、中継するから」って畳みかけられちゃいまして。注目歌手を紹介する「今週のスポットライト」というコーナーでの中継出演が決まりました。
太田 リアルタイムで見ていましたが、強烈な熱気が画面越しにも伝わってきたのを覚えています。梅沢さんの姿見たさに、劇場は300人以上のお客さんがすし詰め状態で、窓によじ登ってまで見ようとした人もいました。
小椋 あんなに大騒ぎになるなんて、僕も驚きました。ちょうどCDがメディアとして発売された時期とも重なっていて、劇場近くの電器屋さんでは、梅沢さんのCDとプレーヤーが売れに売れたらしいね。