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『麒麟がくる』主人公、明智光秀はなぜ「本能寺の変」を起こしたか

戦国時代史研究・第一人者が明かす真相
小和田 哲男 プロフィール

戦国時代の下剋上は「危機管理の手段」

光秀が「本能寺の変」で信長を討った理由とは、このように、信長による悪しき政治に歯止めをかけるための、一種の「世直し」だったと思う。「本能寺の変」は、下の者が思い切って上の者を倒す「下剋上」の一つの典型だった、と今では広く考えられているであろう。
 
今でこそ「下剋上」は、社会の秩序を乱す、倫理にもとる、というイメージがあるかもしれない。だが戦国時代においては、下剋上は実は是認されていた。
 
悪しき政治を倒し、世の中を良くできるなら、「下剋上」は必ずしも「悪」とは考えられていなかった。結果が良ければ「謀反人」として非難されることもなかったということである。
 
ところが、後の江戸時代になると、儒教的な考え方が一般的になり、「武士は二君(じくん)にまみえず」といった倫理が主流になった。

光秀を「主殺しの大悪人」だと考えるのは、江戸時代以降の感覚だと思われる。

 

「本能寺の変」真相を物語る明智光秀の手紙

信長の家臣として、信長からの信頼も厚かった光秀が、なぜ信長に叛旗を翻したのか、つまり、光秀謀反の真相は何だったのかは、以前から「日本史最大のミステリーの一つ」などといわれ、様々な説が提起されている。

古くは怨恨説が主流だったように思われる。光秀が信長から今でいう「いじめ」あるいは「パワハラ」を受け、その積もり積もった鬱憤を爆発させたのが本能寺の変だった、とするものだ。 ただ、「いじめ」に該当することがらの多くは、江戸時代に書かれたものが出典となっていて、近年は疑問符が付けられている。