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『麒麟がくる』主人公、明智光秀はなぜ「本能寺の変」を起こしたか

戦国時代史研究・第一人者が明かす真相
小和田 哲男 プロフィール

「信長非道阻止説」

もう一つの出来事は、武田攻めの帰りに起こった。

信長が「せっかく甲斐まで来たんだから、富士山を見て帰りたい」と言ったとき、従軍していた太政大臣の近衛前久が「お供しましょう」と言った。
 
すると信長は、「わごれなんどは木曽路を帰れ」と馬上から暴言を吐いたという。信長の家臣ならまだしも、太政大臣は今でいう総理大臣であり、きわめて位の高い相手である。 それに対して、ふつうなら考えられない暴言を信長は吐いた。
 
光秀はこの光景をそばで見ており、「これはおかしい」と思ったのではないか。

そしてもう一つ、信長の息子の信忠が、信長に敵対する武将が甲斐の恵林寺に逃げ込んだため、恵林寺を焼き討ちした。

当時のお寺はいわゆる「治外法権」であり、お寺は逃げてくる人間をかくまうことができた。
 
ただ、織田勢は、武将を山門に追い上げて、僧侶一五〇人ともども焼いてしまったのである。

 

しかも恵林寺のトップは、天皇から「国師号」というお墨付きをもらった高僧だった。

これ以上信長を増長させると、いずれ朝廷に弓を引きかねない、と光秀は感じ、謀反を決意したのではないか。
 
これが私の唱える「信長非道阻止説」である。