〔PHOTO〕NHK大河ドラマ「麒麟がくる」公式サイトより引用
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『麒麟がくる』主人公、明智光秀はなぜ「本能寺の変」を起こしたか

戦国時代史研究・第一人者が明かす真相
現在放送中のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、明智光秀が主人公だ。光秀は主君、織田信長を討った謀反人、裏切り者というイメージで語られているが、同ドラマの時代考証を担当し、『戦国名将の本質 明智光秀謀反の真相に見るリーダーの条件』などの著書もある静岡大学名誉教授の小和田哲男氏は、それは必ずしも事実とは言い難いと指摘する。
戦国時代史研究の第一人者が明かす「本能寺の変」の真相とは?

明智光秀はなぜ主君、織田信長を討ったのか

天正一〇(一五八二)年六月に起きた「本能寺の変」は、日本史における最大のミステリーの一つだ。

信長から高く評価されていた光秀が、なぜ謀反を起こしたのか。

錦絵「本能寺焼討之図」楊斎延一画 (名古屋市所蔵)

私は「本能寺の変」の半年前、天正一〇年の年明けまで、光秀には謀反を起こす気はなかったと見ている。光秀は、信長からもらった茶器で「初釜」(正月の茶の集い)をしている。つまり、この時まで光秀は信長への敬意を持っていた可能性が高い。
 
この「初釜」自体が謀反の意を隠蔽するためだったという「カモフラージュ説」もあるが、私はこれを光秀が信長をこの時点まであがめていた証拠だと思っている。
 
その年の三月には、信長が武田勝頼を滅ぼした。長年信長を悩ませてきた武田家が、これで滅亡したことになる。
 
そうなると信長は「俺の敵はいなくなった」と考え、彼の増長がはじまった。

 

その象徴的なできごとが、勝頼の首実検であった。

戦国時代、乱世の事とは言え、首実検においても最低限の死者への敬意は見せるのが当時の常識で、首を拝み、死者にねぎらいの言葉をかけるのが作法だった。
 
だが、信長は悪口をいって勝頼の首を蹴飛ばしたと言う。光秀はこの光景をそばで見ており、きっと「常軌を逸した行動だ」と思ったはずである。