専門家を軽視し、不安を利用する日本の政治…新型コロナが示したこと

「不安の政治化」とは何か
日比 嘉高 プロフィール

政治権力には、社会的な不安のトリガーを引く力がある。政治権力は、日常を「例外状態」へと変えることができる。ドイツの思想家・政治学者のカール・シュミットは、著書『政治神学』において、「主権者は、現に極度の急迫状態であるかいなかを決定すると同時に、これを除去するためになにをなすべきかをも決定する」ことができると述べている。つまり、政治権力は緊急事態かどうかを自分で決めることができ、そして決めた上で何を行うかも決めることができるというわけである。

さらに興味深いのは、シュミットが続けて、このような「例外状態」を作り出す際、権力は現行の法的秩序の内側にいると同時に外側にもいると述べていることである。一読しただけでは意味がわかりにくいが、例を挙げれば難しいことではない。「非常事態」がその事例である。「非常事態」を宣言した権力は、法秩序の中から出発しながら、その法秩序を越えることができる。

〔PHOTO〕Gettyimages

そう、これはまさにいま──微温的な形ではあれ──日本で起こっていることである。北海道の鈴木直道知事は「緊急事態宣言」を出し、安倍首相は小中高等学校などの全国一斉休校を要請した(いずれも法的な根拠はない「お願い」や「要請」であるから、その強制力は弱いはずである。にもかかわらず、ここまでの効果を発揮してしまうこと自体に、我々の社会の抱える問題の根深さを感じるが、ここではこれ以上展開しない)。

「非常事態」に慣らされていく

専門家とその知見は、権力が力を振るう際にブレーキをかけたり、後押ししたり、力の向きや強さを調整したりする役割を負っている。今回の場合で言えば、休校が「全国一斉」である必要があったかについては、慎重な疫学的判断が必要だった。

 

小中高等学校などを大規模に休校させる際にも、教育の実務家と専門家たちの知見とノウハウが必要だった。だが残念ながら専門家には、権力が耳を傾けない場合において、権力を止める力までは備わっていない。