専門家を軽視し、不安を利用する日本の政治…新型コロナが示したこと

「不安の政治化」とは何か
日比 嘉高 プロフィール

一方、素朴な市民の感覚としては、仕事に行くにしても家庭にいるにしても、体調が崩れている自分ないし家族が新型コロナウイルスにかかっているのかどうかは、はっきりさせたい。

また、「この一週間から二週間が感染拡大の山場」であるから外出や大規模な集会を控えよと言われても、現実には何をどこまで自粛すればいいのか判断に迷う。私の身近でも集会や会合のキャンセルが続いているが、中止や延期の増加自体が、人が集まること、集まる場所への不安を高めている。

人々の不安が、事態の鍵を握っている。不安には、何段階かの閾(しきい)がある。漠然とした不安から、行動を起こさずにいられない明確な危機感へ、さらに恐慌を伴う恐怖へ。

政治が不安に「スイッチ」を入れる

不安が閾を越えるときには、引き金となる事件や合図がある。私の感覚にもとづいて言えば、首相が全国一斉休校を「要請」したとき、日本社会の不安を一段階押し上げるスイッチが入った。

 

夕方のニュースで、当惑気味のキャスターによって突如読み上げられたこのニュースに、私は心底驚き、なんらかの行動を起こさなければならない切迫した状況──小学生の息子をどうするのか──に、自分がいきなり置かれていることを発見した。そしてこの驚きと変化はおそらく私一人のものではなかった。Twitterを中心としたネットの反応の沸騰や、トイレットペーパーを買いだめに走った人々の狼狽が、その証左となるはずである。