平和ボケの日本はそろそろ「中国有事」に備えたほうがいい

習近平の来日は延期されたものの…
大原 浩 プロフィール

平時と有事ははっきり区別すべき

平時には、日本の話し合いによって解決する民主的手法は素晴らしいが、有事にはむしろ国民全体の生命・安全を一部の不届き者のせいで脅かす可能性がある。

今回の日本の感染症対策にその「有事対策の問題点」を見出した読者は多いであろう。

しかし、武漢肺炎は、「有事」の序章にしか過ぎないと考えている。情報隠ぺいによる感染症対策の失敗が習近平政権を直撃するであろうことは、2月12日の記事「中国・習近平が恐れている、武漢肺炎とSARSの『大きな違い』」で述べた。

安倍政権の武漢肺炎への対応のまずさを指摘する声もある。確かにそれは否定できない事実だ。しかし、より根本的な問題は「平和ボケ日本」の官僚機構・法律などの「有事対応の欠如」にある。

日本よりもさらに自由や民主主義を尊重する米国でさえ、「有事に私権の制限」が行われるのは当たり前であるし、有事に国民全体の生命や財産を守るために「私権の制限」を行うのは「必要不可欠」とさえいえる。

誰か1人の勝手なふるまいで、国民全員が生命のリスクにさらされることなどあってはならない。その点で、政府のチャーター機第1便(つまり優先的に搭乗できた。これを準備するためにどれほど政府の労力が費やされたか……)で帰国した乗客2名が、身勝手な理由で検査を受けずに自宅に戻ったことは大変大きな問題だ。

検査を強制する法律がないと言うが、米国では、すべての中国からの入国者を即時に拒否し、リスクを抱えた帰国者は2週間隔離される。

他国できちんと対応できていることを考えれば、日本が一時、世界で2番目の感染国になったのは、事前の法整備も含めた「有事対応」の欠如による「人災」と言ってよい。

戦後70年間、戦争やパンデミックに見舞われなかった平和な日本で暮らすことができたことは幸せだとは思うが、有事対応の欠如によって「ある日突然日本が崩壊」するリスクも高まっているように思われる。

平時の間にこそ、「有事」において、どこまで政府の強力なリーダー・シップを認めるのかをきちんと議論すべきだ。民主主義、自由主義を最大限に尊重しつつも、戦後繰り返し有事を経験してきた米国や英国が大いに参考になると思う。

もっとも、その前にこの緊急事態においても国会審議で「さくら」騒ぎを続けている「特定」野党は何とかしなければならないが……。

銃口を向けられても、弾が当たるまで何もしないという「憲法9条教」が蔓延した日本の風土が惨劇を招く。

さらに、日本が下手に中国に肩入れすると「ナチス・ドイツを支援した」のと同じ扱いを受ける。

ナチス・ドイツが今のような世界的悪役になったのは、米国と開戦し、戦後アウシュビッツ強制収容所などの実態が明らかになってからである。それまでは、大空の英雄チャールズ・リンドバーグをはじめナチスの支持者は米国にもたくさんいたのだ。

 

米国をはじめとする世界中の目が急速に厳しくなる中で、共産主義中国に対して「平時の生ぬるい対応」を行っていることが、日本政府の「有事対応」の最大の欠如だと言えるかもしれない。

事と次第によっては安倍政権転覆のきっかけにもなりかねないが、安倍首相に田中角栄氏の二の舞は踏んでほしくない。