映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?

観客をミスリードする作り
中川 右介 プロフィール

歪められた言葉の主旨

もうひとつの重要シーンは、3月15日だ。午前3時頃、菅首相は、東電が現場から撤退したいと言ってきたとの報告を受けた。

誰もいなくなったら原発の暴走を止めることはできず、日本は壊滅する。しかし、このまま、職員が現場にいたら、命が危ないのも事実だった。

東電社員は民間人である。民間人に、政府が「命をかけろ」と命令できるのか。法律上は総理にはそんな権限はない。だが、菅首相は「撤退はありえない」と、官邸に来た東電の社長に伝えた。日本を守るためには東電に対処してもらうしかないのだ。

さらに、午前5時半過ぎに、東電本店へ行き、事故対策にあたっているオペレーションルームで、「命をかけてください」と呼びかけた。

映画ではこのシーンでも、「総理」はヒステリックにわめいているが、実際はどうだったか。

私もその場にいたわけではないが、菅直人という人をよく知る立場からすれば、ああいう絶叫をする人ではない。

このオペレーションルームでのやりとりは録画されているが、なぜか菅首相の発言の間だけ、音声は残っていないということで、公開されていない。画像のみが公開された。

映画としては、モニターで総理の演説を見て聞いている吉田所長が、ズボンを脱いで下着を見せ(ようするに、ケツを向けているのだろう)、他の職員も総理に悪口雑言をつぶやいている様子が描かれている。

おそらく、そうした「社員の悪口雑言」までも録音されてしまったので、東電は公開を拒んで、「録音されていない」ことにしたのだろう。

そういうわけで、本店へ乗り込んだときの菅首相の発言は録音が「ない」ので、正確には再現できないが、その場にいた総理補佐官のメモなどから、おおよそのことはわかり、『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』にも記載されている。長くなるが、全文を載せる(同書は紙の本は品切れだが、電子版で読める)。

 

「今回のことの重大性はみなさんが一番わかっていると思う。政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。これは2号機だけの問題ではない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機。さらには福島第二サイト、これらはどうなってしまうのか。これらを放棄した場合、何か月後かには、全ての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる。チェルノブイリの2倍から3倍のものが10基、20基と合わさる。日本の国が成立しなくなる。何としても、命がけで、この状況を抑え込まない限りは、撤退して黙って見過ごすことはできない。そんなことをすれば、外国が「自分たちがやる」と言い出しかねない。皆さんは当事者です。命を懸けてください。逃げても逃げ切れない。情報伝達は遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、委縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のことも、5時間先、10時間先、1日先、1週間先を読み行動することが大事だ。金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれない時に撤退はあり得ない。会長・社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上が現地に行けばよい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる。」

映画での、「総理」の発言は、もっと短く、「逃げられない」と絶叫しているだけだ。

省略はいいとして、全体の主旨まで歪めているのは、どういう意図だろう。

この映画は門田氏の原作をもとにし、東電側には改めて取材しているようだが、菅首相サイドには取材していない。

どの段階で誰が、「総理大臣を悪役にする」と決めたのかは知らないが、出発点がそこにあるので、演技も演出も、「総理」登場シーンだけは、事実とはかけはなれてしまっている。

当時の民主党、菅直人政権を批判するためのプロパガンダ映画として作られたのなら、その目的は達成されるだろう。

しかし、そんなことが目的の映画だったのか。

俳優もみな熱演しているし、事故のシーンの迫力はものすごく、どんな事故だったのを知るために多くの人に見てもらいたいとも思うだけに、政治的な「事実の加工」が残念でならない。