映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?

観客をミスリードする作り
中川 右介 プロフィール

観客をミスリードする作り

原作は、門田隆将著『死の淵を見た男』で、門田氏が関係者に取材して事故を再現したノンフィクションだ。この原作では、ちゃんと「菅直人」として描かれている。実際、執筆にあたり、門田氏は菅直人元首相にも取材している。

映画では、「吉田所長」は実名で登場するが、首相官邸にいた東電のフェローは「武黒一郎」なのに「竹丸吾郎」となっている。

また、「総理大臣」以下の政治家や関係者も「内閣官房長官」「経済産業大臣」「原子力安全委員会委員長」「原子力安全・保安院院長」などは、役職名として登場するだけで、個人の名はない。

つまり、映画のなかでの「悪役」は、モデルとなっている人物の実名では登場しない。

観客は、吉田所長という人物が実名で登場するので、この映画はすべて「事実」に基づいていると思うだろう。だが、映画は、官邸側の人物を実在の人物として描くことから逃げている。

 

映画のなかで、「菅さん」というセリフがなくても、誰もが佐野史郎が演じている「総理」が「菅直人」だとイメージするように作っておきながら、あの人物は「菅直人」ではないのと、言い逃れができる作り方をしている。

当時の政権にもさまざまなミスはあったろう。別に菅直人をもうひとりのヒーローとして描けとは言わないが、吉田所長と同程度の再現度で、「菅直人首相」として描くべきではなかったのか。

そのほうが映画としての価値も高くなったと思う。

以下、野暮を承知で、事実との相違点を記しておく。