ジャーナリストの河合蘭さんによる連載「出生前診断と母たち」。本連載は、日本における出生前診断の現状を伝えている。そこには様々な親や医療従事者たちの思いがあるが、出産に関して決断するのは当人たちだ。

出生前診断でダウン症の確率が高くても出産することを選んだ人もいる。出生前診断そのものを受けずに出産した人もいる。そして、ダウン症だということがはっきりわかって、産まない決断をした人もいる。大切なのは、親たちが誰かに指示されずに「自分で決断できるか」ということだ。今回は、前回お伝えした「産後ドゥーラ」として母たちから絶大なる信頼を得ている水戸川真由美さんご自身がどのようにして障害のある子どもたちと向き合うようになったかをお伝えする。

「産後ドゥーラ」として活躍する水戸川さん。現在多くの母たちから支持をうけている理由は、経験者ならではの豊富な知識と愛情にある 撮影/河合蘭

孤独だった最初の出産

障害のある子どもたち・家族たちと社会をつなぎ、親子を応援する活動で知られている水戸川真由美さん。長女・恭子ちゃん(35歳)の横にすわり、ニャーニャー鳴くマスコットを使いながら、声掛けを続ける。

脳性麻痺で重い知的障害をともなう恭子さんは、世界をどのように感じ取っているのだろうか。恭子ちゃんは言語を発することはないし、誰かと視線を合わせるのも苦手。

でも、しばらくすると、恭子ちゃんの心は何かをとらえた。
恭子ちゃんの瞳がわずかに水戸川さんの方に動くのが見え、しばらくすると、さっきまでの無表情が嘘のような笑みがこぼれた。あの時、恭子ちゃんはお母さんとの撮影を楽しんでくれたのだと思う。

水戸川さんは、子どもの時から小さな子供と遊ぶのが好きだった。小学校に上がっても、自分が卒園した保育園に行って小さな子どもを遊ばせていたほどだ。夢は、保育士になること。だから、高校卒業後に上京し、23歳で結婚してすぐに妊娠したときは、テレビ制作会社の仕事に打ち込んでいた時期ではあったけれど、初めてわが子が抱ける日を思うと本当に楽しみだった。

しかし、予定日が過ぎてもなかなか陣痛が来なかった。入院して人工的に陣痛を起こす処置を受けたが、その後すぐに間隔が短い陣痛が始まった。人手が足りなかったのか、陣痛中、医療者はほとんど様子を見に来てくれない。夫が立ち会う時代でもなく、水戸川さんは28時間、たったひとりで痛みと闘い続けた。生まれてきた恭子ちゃんは産声を上げなかった。「胎児仮死」と呼ばれる、弱った状況で生まれてきて、あっという間にNICU(新生児集中治療室)に連れていかれてしまった。

やがて小児科医から、恭子ちゃんには脳にクモ膜下出血を起こしたあとがあり、脳に働かなくなってしまっている部分があること、今後脳性麻痺の特徴が出るかもしれないと、ということが告げられた。原因はわからなかった。

初めて会った恭子ちゃんの姿は痛々しくて、辛過ぎた。

「恭子は、入院中の写真が一枚もないの」と水戸川さんは言う。今思えば、生きるための闘いをしていた恭子ちゃんの姿を残しておけばよかったと思うけれど、当時の水戸川さんは、まだそんな気持ちになれなかった。

現代のNICUでは、早くから母親を子どもに会わせ、触れさせ、抱かせて親が子どもとの一体感を持てるようにする。産科でも、孤独な出産はトラウマとなり、次回の妊娠に影響するケースもあることが少しずつ知られるようになってきた。でも、当時はまだそんな時代ではなかった。産むことも育てることも当たり前のことと考えられ、女性が母親になっていく心の過程に関心を持つ専門家は少なかった。