地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
1887年のこの日、19世紀ロシアを代表する作曲家としても知られた化学者アレクサンドル・P・ボロディン(Alexandr Porfiryevich Borodin、1833-1887)が亡くなりました。
43歳という若さでの早すぎる死に、ロシア化学界は悲しみに暮れました。
わずか9歳で作曲するなど早熟の天才として知られたボロディンは、ペテルブルク大学で化学と薬学を学び、同大学の教授として活躍しました。
化学者としてのボロディンは、ハロゲン化アルキルの合成法である「ボロディン反応(ハンスディーカー反応)」の発見者として知られています。
ボロディンは化学者であると同時に音楽家でもありました。研究の合間にオペラ『イーゴリ公』や交響詩『中央アジアの草原にて』といった傑作を残し、ムソルグスキー、バラキレフ、キュイ、リムスキー=コルサコフらとともに「ロシア五人組」と称される偉大な作曲家となりました。
そんなボロディンの終わりはあまりに突然でした。心臓病を患っていた彼は、大学で催された舞踏会で踊っているさなか突然倒れ、そのまま帰らぬ人となったのです。
「天は二物を与える」の言葉を地で行くボロディンは、その才能ゆえに天に愛され、天に召されてしまったのかもしれません。