シャラポワがかっこよく見えた
“ノーブラ乳首ポッチ”姿

異性から“女”認定されるのに、それほど時間はかからなかった。「モテる」という意味ではなく、良いも悪いも含めた、いままで感じたことのない“女”という記号に当てはめられた視線だ。おっぱいはその最もわかりやすい象徴だった

正直、最初は「女性として見てもらえること」の嬉しさや優越感みたいなものがあったが、女としての点数を勝手につけられ、取りたくもない相撲の土俵に立たされてしまった辛さも生まれた。まるで、負けることがわかっているのに、アイドル総選挙に強制参加させられたような感覚だ。

女としてじゃなく、私という人間を見て欲しい。女である自分が嫌なんじゃない。「おっぱいがくっついている私」を“人”として認めて欲しいだけなのだ

写真提供/バービー

女子大生というレッテルに、旨味を感じながらも激しく反発する自分がいた。この自分の中の矛盾をどう表現したらよいのかわからず、ノーブラで白Tシャツを着て街を闊歩しようと試みたことがある

日本では、うら若き女性の乳首がポチッと透けるなんてはしたない事という風潮があって、もしそのような事があったら恥ずかしがることを要求される。それが、女性たるものである、と。ノーブラ乳首ポッチ大作戦は、その女性という偶像に対する反発だったと思う。

誰にだって、乳首は付いていて、それがリアルなのに、どうして隠さなきゃいけないの? それが、はしたない事にされるのは、透けた乳首に性的な感情を抱いてしまった側のやましさではないのか?

同時期に、浮きまくった乳首を隠すことなく、そのウェア姿を全世界に放送されながらも堂々と勝負に臨むシャラポワ選手がとてもかっこよく見えたというのもある。その美しさで注目を集めながらも、乳首が浮いていようが性的な視線など気にせず、テニスを通じて自分を表現している姿に感動した。

ポウ! Photo by Getty Images

私もシャラポワ選手がサーブを打つときのように、ノーブラ乳首ポッチで、ポウと叫び、太陽の下を歩けたらどんなに気持ちいいだろう。でも、一介の女子大生がそれをやったところで、そのメッセージ性など伝わるわけもない。むしろ、気が触れた痴女だと思われるだけだ。そう言って私を止めてくれた友達は、黒歴史を作らずに済ませてくれた、命の恩人かもしれない。白Tシャツにノーブラはリスクが高すぎた。