「キモい」がいじめっ子と差別主義者の口グセになった「根深い原因」

私たちはこの感情を克服する必要がある
Ore Chang プロフィール

いまも響く「排除せよ」のアラート

社会心理学者のスーザン・フィスクと社会神経学者のラサーナ・ハリスの研究では、嫌悪感(「キモい」)をかき立てられるような「おぞましい人々」を目の前にすると、サピエンスは「社会的理解」を遮断する。

フィスクらの実験の被験者たちは、麻薬常習者やホームレス、そのほか “汚らしい”人々に対して嫌悪を感じると報告した。フィスクらがその脳活動を調べてみたところ、ふつうの人間に対しては働くはずの、社会的推論に関連する領域(内側前頭前皮質)の活動が低下していることがわかった。*8

「キモい」は、社会的断絶を生み出す。この感情の喚起によって共感(エンパシー)の働きは停止され、その対象となる人びとは認知的に“非・人間化”される。彼らは社会的な距離を縮めて救い出すべき対象ではなく、関係性に距離を取って積極的に回避すべき対象とみなされる。「私たちの目の前から早く消えてくれ」というわけだ。

不思議なのは、「キモい」という言葉はまぎれもなく加害性をはらんでいるにもかかわらず、「キモく感じさせられた私こそが被害者である(そして加害者は、私をキモがらせたアイツである)」という逆転を伴うようにも見えることだ。

これは筆者の仮説であるが、「キモい」という感情はもともと「病気の感染者から逃れるための警告」として進化したために、社会善──つまり「“みんなのため”に、バイ菌の保有者を社会から隔離・排除し、公共の安全を保つ」──の感覚にナチュラルに繋がりやすいことが、その背景にあるのではないだろうか。

 

ここでいう“社会善”とは、われわれの心が数百万年にわたって育まれてきた太古の部族社会環境においては「是」とされていたであろう、単純で粗野で原始的な――とにかく外敵を排除し、共同体を守るための“善”のことである。未知の病原菌を持っているかもしれない外敵に対する「排除せよ」というアラートの残響が、21世紀のいまになってもまだ響いているのだ。

かくして「キモい」という言葉は、“ただしさ”のニュアンスを身に纏う。この“ただしさ”はたいていの場合、明確で合理的な根拠を必要としない。原始的な共感さえあれば十分──「ほら、あなたもアイツのことキモいと思うでしょ? 思わない? それはちょっと感覚がヘンだね」というわけである。