2020.02.27
# 不正・事件・犯罪 # 歴史

731部隊の闇…日本社会がどうしても隠したい「残酷すぎる過去」

新資料が示したこと
島崎 晋 プロフィール

731部隊の幹部たちはいずれも沈黙を貫いた。戦時中は「石井の番頭」を公言して憚らず、階級が最終的に中佐まで進んだ内藤良一博士も同様であった。この内藤博士は戦後、のちに大手医薬品メーカーに成長するミドリ十字を創業し、その会社が薬害エイズ事件を引き起こしたのは何かの因縁であろうか。

明かされ始めた当時の記録

欧米では、よほどの国家機密でもない限り一定期間が過ぎれば、あらゆる公文書が公開される。731部隊関連のそれとて例外ではなく、これにより731部隊の実態と免責に至る経緯について、多くのことが明らかとなった。

この分野については神奈川大学名誉教授にして科学史と科学論を専門とする常石敬一が多くの著作を世に送り出しているが、ジャーナリストの青木冨貴子が著わした『731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(新潮文庫)も有益な作品である。石井四郎本人の日記や先述した内藤博士に関する新たな資料も見つけ出したのだから。

なかでも内藤博士に関する話は群を抜いて興味深い。それはメリーランド州カレッジパークにある国立公文書館で公開されていたもので、青木が目にした資料によれば、内藤がワシントンの日本大使館付陸軍武官の紹介状を手にロックフェラー研究所の国際衛生研究室を訪れ、黄熱病の病原株を分けてほしいと申し入れたのだが、それがなんと1939年2月23日のことだった。

 

すでに国際会議の決議で、アジア諸国にウイルスを持ち込むことが禁止されていた後である。当然同研究所では所長のセイヤー博士が直接内藤に会って、きっぱりと断りを入れたが、内藤はそれに懲りず、再び訪問し黄熱病ワクチンの扱いについて質問を浴びせ、さらに同月26日には、同研究所の技師が内藤と同一と思しき人物から、黄熱病ウイルスを渡すよう脅迫されという記述まであった。

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