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「ヒロヒト、ヒロヒト……」昭和天皇は二・二六事件で何を語ったか

現天皇は2月26日をどう過ごす?

昭和天皇は、1981年1月17日、落成して間もない現在の警視庁本部庁舎を視察したおり、今泉正隆警視総監にこう訊ねている。

「色々な重要な施設等暴漢例えば、2・26の如き折、充分防護は考えていようね」(「富田メモ」)。

「2・26の如き」とはいうまでもなく、二・二六事件のことだ。1936年2月26日、国家改造を企図した青年将校に率いられた陸軍部隊の一部が、首相官邸や警視庁などを襲い、永田町一帯を占拠した、いわゆるクーデタ事件である。

叛乱軍兵士たち〔PHOTO〕Wikimedia Commons

これにより、高橋是清蔵相、斉藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長(のち首相になり、終戦に尽力)が重傷を負うなどした。

事件は数日で鎮圧されたものの、昭和天皇は生涯にこの日のことを忘れなかった。だからこそ、1981年になっても、「二・二六事件のようなことが起きても、この建物は大丈夫だろうね」と訊ねたわけである。

 

しかも、側近の日記によると、毎年2月26日には「御慎みの日」として、公務を休んだり、娯楽を控えたりしていたという。

そのため昭和天皇は、1988年のこの日、明仁皇太子(現・上皇)と徳仁親王(現・天皇)が岩手県八幡平にスキーに出かけたことを快く思っていなかったようだ。

「このような日に出発するとは慎しみが足りない。しかも暗殺された斎藤実(当時内大臣)は岩手県出身であるというお気持が強い」(小林忍『昭和天皇最後の侍従日』)。

日記なので主語が曖昧だが、「お気持」ということばから、「この日に、よりによって岩手県にスキーとは」という昭和天皇の意向が読み取れる。